投稿者 さすらいの鯰 日時 2000 年 8 月 27 日 08:09:14:
回答先: 対抗的想念について 投稿者 スターダスト 日時 2000 年 8 月 27 日 00:59:00:
|> なにかの精神世界の教則本に
|> ブードーに似ている悪意の想念を
|> はじきかえす例が出ていていましたが
|> その実例は本当であるとしても
|> そのやりかたは間違っていると
|> 感じました。
|> これでは対抗的想念ではなく
|> せん滅的想念です。
スターダストさんとラピスさんのこの欄のご意見を見まして
すっきりしました。私が考えていた「対抗的想念」とはスター
ダストさんが言われます「殲滅的な対抗想念」でした。
確かにお二人の言われますように「自身が愛で満たされた
状態であるならば、そこに悪意の想念が入り込む余地が無く
それこそが対抗的想念なのではないか」という主旨は非常に
腹に落ち、納得、スッキリしました。
しかし、ちょっと一服していると、次のような考えがフッと
思い浮かびました。
「イエスは愛で満たされていたはずなのに、邪悪な想念が
具象化した人々の行動で殺されてしまったなぁ。それが
イエス自身、もしくはスペースプログラムで予め決めて
いたことなら別だが。そしたら邪悪な想念が愛の塊の人
を滅ぼしたことにならないのだが。しかし・・・」
「スポーツ選手等々のイメージトレーニングは基本的には
自分が活躍して、結果的に相手に勝つ、滅ぼす想念だろ
う。そしてそれは恐らく愛など関係なく想念がより具体
的で強い方がそれを具象化できるのではあるまいか」
その他、私の過去の経験を思い返して一端出た結論としては
「イエスは『肉体は滅ぼすことが出来ても、魂は滅ぼすことは
出来ない』と言ったよなぁ。相手を滅ぼすとか、相手に勝つ
とかの『邪悪な』『現世御利益』的想念は、きっと『一時的
には対象に(愛で満たされた状態のものにも)勝つ、影響を
与える事が出来るのではないか』と。しかし(生まれ変わり
を含めた)長期的にみると何ら重大な影響は及ぼし得ないの
だろう」ととりあえず納得しました。
自分自身が「現世御利益」的に保身(肉体的、社会的など)に
こだわっている状態では、邪悪な想念の影響は全面的に受ける
ことになるかもしれない。殲滅的対抗想念を用いない限り。
まあどう生きるにしろ、どんな想念が降りかかってくるにしろ
大きな長期的なスパンで見れば、愛で満たされた状態になる様
に努力するしかないわけですね。それが現時点ではベストと考
えますです。ハイ。