投稿者 らむじ 日時 2001 年 3 月 17 日 21:36:49:
世の中には、見るもの聞くものすべて、
偶然ということはないようです。
広義にとらえれば、宇宙はすべて必然から
成り立っているかもしれません。
私が昨日見た親子の光景や、「はちきん」
が交換日記に書いてくれた、お母様や
ご兄弟のお話は、ただ漫然と生きている
私に対する、創造主の教えであると
自戒しております。
>奉仕は、アダムスキー哲学を広く世に
ひろめる事なんじゃないかなと感じました。
* これといった才能のない私はあなたの
おしゃっるとうりこの言葉を肝に銘じて
いっそうわかりやすい表現でア哲学を
多くの人々に伝えていきたいと思います。
>一年生が、支離滅裂な表現でごめんなさい、
まとはずれだったら許して下さいネ
* アダムスキーの高弟、フレッド・ステックリング
(故人)は次のように言っています。
『年をとった人は指導者と呼ばれ、若い人は弟子と
呼ばれますが、これは完全な間違いです。
進歩というのは魂の進歩であって肉体ではありません。
熟達というのは個人の魂の発達を意味します。
個人が熟達の段階に達した時、肉体を取り替えて
新生児の肉体へ移動します。するとその幼児は
すでに指導者なのです。』
またアダムスキ−は言っています。
『どちらかの人間が一方的に教師であり続けることは
できません、お互いがそれぞれの教師であるからです。』
私は思うのです。イエスだけが創造主の代理人では
ありません。昨日見た女の子も目のご不自由な両親から
見ればまた創造主の代理人なのです。
最近、スタ−ダストさんのHP・宇宙の意識とあなたのページ
(このHPとリンクしている)にも投稿しています。