投稿者 松本 日時 2001 年 5 月 02 日 22:22:45:
回答先: 交換日記 to yoshimiさん 投稿者 らむじ 日時 2001 年 5 月 01 日 22:59:01:
|> この難解な学問を習得した人々にとってはステイタス
|> であり自己を満足させるものであり、さらに自己を
|> 他人より上位に置くことが出来る素敵な学問です。
∇難解な物理学を習得できた幸運な人たちについて
も関係あると思われる最近の脳の調査結果があり
ましたので、ご紹介します。
(ちなみに私は、物理は専攻していません。)
物理学者に限らず、「天才」と呼ばれている人
たちも、ある一つの分野の才能が並外れてはいても、
その他の面ではごくふつうの人たちであることが、
「脳科学」の分野からわかりはじめているようです。
下記の例は天才数学者ですが。
「脳のなかの幽霊;V・S・ラマチャンドラン,1999」
より
・こうした例は、特殊化した才能が一般的知能から
自然発生的に出てきるものではないことを示してい
る。もしそれが事実なら精神遅滞者がこうした能力
を示すはずがない。それにこの点を立証するのに、
サヴァンという特異な例を引き合いに出す必要も
ない。才能のある人や天才はみな、このシンドローム
の要素をもっているからだ。「天才」というのはよく
ある誤解とは裏腹に、超人的な知能の同義語ではない。
私が光栄にも面識を得た天才のほとんどは、本人たち
はおそらく認めたがらないだろうが、イデオ・サヴァン
によく似ている−かぎられた分野ではなみはずれた
才能をもっているが、その他の面ではごくふつう
なのだ。
・よく語られるインドの天才数学者ラマヌジャンの話
について考えてみよう。ラマヌジャンは前世紀末から
今世紀はじめにかけて、私の生地から数マイルの所に
あるマドラス港で事務員として働いていた。ハイスク
ールの初等課程に入学を許可されたが、全科目にわた
って成績が悪く、高等数学の正式な教育は一度も受け
ていない。それにもかかわらず数学に驚異的な天分を
もち、それにとりつかれた。ごく貧しかったため紙を
買うゆとりもなく、捨てられた封筒に方程式を書き散
らし、二十二歳までに新しい定理を数個発見した。
そしてインドではあまり多くの理論家と知りあえな
かったので、自分の発見を他国の数学者に知らせる
ことにした。当時の世界有数の数学者だったケンブリ
ッジのG.H.ハーディも知らせを受けた一人だった
が、ラマヌジャンの走り書きを見たとたん、相手を変
わり者だと思った。そしてちらりと見ただけでテニス
をしに出かけた。ところがゲーム中もラマヌジャンの
方程式が頭から離れない。数字が頭に浮かんで消えな
いのだ。「それは本物にまちがいなかった。そんなも
のをでっちあげる想像力をもっている人間がいるとは
思えないからだ」。そこでさっさと家にひきあげた
ハーディは、封筒の裏に書き込まれたいくつかの複雑
な方程式の妥当性を調べてほとんどが正しいことを知
り、即座に同僚のJ.E.リトルウッドに知らせた。
リトルウッドも、この手書きの方程式を検算した。
二人の権威は、ラマヌジャンがおそらく最高の力量を
もつ天才であることを悟り、彼をケンブリッジに招聘
した。ラマヌジャンは長年ケンブリッジで研究を行な
い、ついにはオリジナリティーでも重要性でも、この
二人をしのぐ業績をあげた。
・この話を紹介したのは、仮にあなたがラマヌジャン
と夕食をともにしても、どこといって変わった印象は
受けないと思うからだ。数学の技能が度外れている−
ほとんど神業だと言う人もいる−ことを除けば、彼は
ほかの人とまったく一緒だった。もし数学の能力が
一般的知能の働きの一つにすぎないとしたら、つまり
脳がより大きく全体的にすぐれていることの結果だと
したら、知能の高い人ほど数学にすぐれているはずで、
また逆に数学にすぐれている人ほど知能が高いはずだ。
しかしラマヌジャンに会えば、これがまったく事実で
ないことがわかるだろう。
・では解答は何か。ラマヌジャン自身の「説明」−
村を統轄する女神ナマギリが、完全にできあがった
方程式を夢のなかでささやく−はあまり参考になら
ない。しかしあと二つ、可能性が考えられる。
・一つめは、一般的知能が本当はたくさんの別々の
精神特性からなり、遺伝子のほかに特性どうしも、
たがいの表出に影響を与えているという、より簡素
な見解である。遺伝子は集団のなかでランダムに組
みあわされるので、ときおり幸運な特性の組みあわ
せ−たとえばいきいきとした視覚イメージと数字を
あやつるすぐれた技能の組みあわせ−ができる。
そして私たちが天才と呼ぶなみはずれた才能の開花
が生まれる−方程式を「視覚化」することができた
アルバート・アインシュタインや、自分の音楽作品
の展開を耳で聴いただけでなく心の眼で見たモーツ
ァルトのような天賦の才能である。こうした天才が
稀なのは、幸運な遺伝子の組みあわせが稀にしか起
こらないからだ。
・私はここから、サヴァンや一般の天才についての
二つめの説明を思いついた。靴ひもが結べない、
あるいはふつうの会話ができないという人が、いっ
たいどうして素数を算出できるのか。その答えは
ひょっとすると左半球の角回と呼ばれる領域にある
かもしれない。この領域が損傷を受けると100引
く7などの簡単な計算ができなくなる場合がある。
これは左の角回が算数モジュールだという意味では
ない。ここから言えるのは、この組織が算数の計算
にとって決定的な何らかの働きをもち、言語やワー
キングメモリや視覚には不可欠ではないということ
だけだ。しかし算数には左の角回が必要であるとい
うのは確かだろう。