投稿者 らむじ 日時 2001 年 5 月 22 日 23:21:26:
あじさいの花がそろそろ咲く準備を整えている。
まだ青いけれどよく見ると、小さなつぼみが
いっぱいでてきた。ひとあめ降れば、
つぼみはさらにふくらむだろう。
あじさいは人間のように思考しない、
彼等はゆったりと構えている。
早く雨が降れとイライラしたりはしない、
いつ雨が降るか知っている。
彼等は宇宙のネルギ−と同調している、つまり
宇宙とハ−モニ−を奏でているのだ。
それは見事な旋律だ。今まで地上に現れた幾多の
天才たちもあじさいが奏でる旋律を超えたもの
はいない。アマデウスもあじさいから見れば、
ほんの子供だった。とにかく彼等はゆったりと
している、決して開花をあせったりしない。
しかしあじさい寺の和尚となると話は別だ。
なにせあじさいを売り物にして、一儲けしなければ
ならない。「え〜い、ひとあめ欲しいのう。しかし
あんまり早く咲くのも困る。なにせ臨時バスを
出してもらうから、ちょうどその期間に咲いて
もらわなければ拝観料収入が前年比を割るかもしれん。」
「それにしてもいつ雨が降るんじゃろう。どうも
気象予報士のいうことはあてにならん。
わしなんか檀家のばあさんがいつ死ぬかぴったと当てたぞ、
おかげで葬儀の段取りがうまくいった。」
あじさいは宇宙と調和している、ゆえに彼等は
宇宙そのもだ。しかし和尚はあじさいが宇宙だと
言うことを知らない。なにせ彼は寺で生まれて
寺で死ぬのだ。彼の宇宙は寺なのだ。
人間はその程度の存在だ。
宇宙の語る言葉はとても静かだ。ざわめきという
思考を止めない限り人間が宇宙の声を聞くことは
ない。