投稿者 らむじ 日時 2001 年 8 月 10 日 22:22:28:
元気そうでなにより。白馬は涼しそうでいいね。
伏魔殿(外務省)のHPを見るとはひきょうなり。(爆)
ついでにハイヤ−のチケットももらえばよかったのに。
「帝国日本芸人一座」がパスポ−ト第一号から十八号
までを独占しました。
ちなみに三十号まですべて芸人だったそうです。
もちろん彼らが自費で渡航できるわけがなく、アメリカ人
のプロモ−タ−やスポンサ−の援助によるものです。
軽業曲芸なら言葉が通じなくても評判になると
考えたようです。
カルチャ−ショックといえば、この「帝国日本芸人一座」
はニ年四ヶ月もの間欧米を巡業していたんだけれど、
代表の高野広八という人が日記をつけていて、それによると
「黒がね(線路)ふたすじ(二本)」を走る汽車に
驚いたり、「ちょいとねちる(ひねる)」水道や
「昼よりまたあかるく」なるガス灯に感嘆しています。
まあ、広八に比べたらyoshimiのカルチャ−ショックも
中位かな。フフフ。
1867年4月18日「芸人一座」はワシントンで当時の
米大統領A・ジョンソンと会見しています。広八の日記には
「国王にまねかれ御城内ニまいり、王様の座敷にとふり
御目どうりにて”あつ両”致す。」と記されています。
さてここで質問「あつ両」とはなんでしょう???
新しい生活はきっと子供達のほうが早く慣れるね。
参考文献:『再現日本史』講談社