投稿者 瑠璃/佐々木和正 日時 2001 年 9 月 25 日 23:29:47:
〜解いている人、そして、あきらめた人〜
あきらめてしまった人へ。
いったい何を諦めたというのでしょうか。
私の知っているある人は「今日は諦めた」とよく言います。
そのあと別のことをやっていたと思ったら、また戻って同じ仕事をしています。
今度はどうしたんです?と聞くと、ちょっと思いついたから試してみる、と言うんです。
きっとその人にとっては「今諦める」以上の事は無いのでしょうね。
そうです。
瞬間的に諦めたとしても、
その後ずっと同じ気分でいる事なんてないのです。
いくら「今日は諦めた」と言ってもいいでしょう。
気楽になれますから。
さあ、いったい何を諦めるというのでしょうか。
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よくよく考えてみれば、
少なくとも一万数千年前からの謎を解こうとしているのですね。
簡単に解けないことに腹を立てても意味がありません。
考古学者のような熱意と慎重さが要ります。
そしてなにより、
楽しんで続けることです。
それは数万年間も埋もれていた謎なのですから。
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それこそ私は楽しんでやっている。
楽しい時はよく理解でき、そうでない時はたいがい気分が悪い。
解くために感情をコントロールし、
感情を見つめることで「よし!今日は解けるぞ」という時がわかってくる。
ひとつの物事を追求すると自然と身に付いてくる方法です。
なぜにあんな面白い謎を諦めたと言えるのか。
諦めた人が多いと聞いてからずっと疑問でした。
最近になってやっとその答えが見つかったような気がします。
タイトルはモチロン冗句だ。
*
あとは、そう。考えるきっかけを作っておくことでしょうね。
疑問に思ったこと、動いているところやその状態を想像してみる。
こうやって設定しておくと、想念が通過したときにスイッチが自動的に働くようになります。
必要な情報は外から勝手にやってくる。
気楽さが生み出す魔法なのだ。
どうも世間一般的には、図を解くことや円盤の謎を解くことは、難しいと思われているみたいだ。
なぜだろう?
よく高度な技術と呼ばれるけど、"高度"の意味を取り違えているからかも知れない。
技術偏重文明だからかな?
高度な精神性に支えられた技術と呼べばわかりやすいと思うがどうか?