投稿者 スターダスト 日時 2005 年 2 月 01 日 10:21:23:
回答先: Re: 正月そうそうびっくりしたこと 投稿者 スターダスト 日時 2005 年 2 月 01 日 10:03:27:
ヨブは、苦しまされます。その神への信仰のゆえ、最後には勝利します。
そのような説話なのですが、この物語の前段では、悪魔と神との対話があります。悪魔が神に挑戦するのです。その賭け事のコマとしてヨブは使われます。神の勝利条件はヨブの絶対的な神への信仰です。
イエスは「神は試されてはならない」と言い放ちましたが、さかのぼってヨブの時代では神は悪魔とともに人を試します。どれほどひどい試しであるかは旧約聖書をお読みになられたかたならご存知でしょう。
さて、この作られた物語には悪魔が出てきます。作り出した神には誤謬がつきまといます。悪魔伝説もまたその証左でしょう。
ヨブは試されなくてはならなかったのか?というのが私の正直な感想です。人が作った物語を読んで神にいちゃもんつけるのは筋違いですが。
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同じく旧約聖書では、イサクの父アブラハムが、神の命によってその長男を祭壇の上に横たえ、生贄として捧げようとします。 信仰を試されるわけです。信仰を試される理由については旧約聖書には書いてありません。いきなり「お前の息子を私に捧げなさい」と言われ、祭壇で息子を丸焼きにしなくてはいけないわけです。私なら、そんな神は即座に見限ります。私は旧約を嫌いますが、このような物語の通底にある残虐性を嫌悪するからです。
ところで、近代になってから旧約の異本が発掘されることがあります。アブラハムによる長男を生贄にささげる話も発掘されました。その異本によれば、、、
悪魔と神が最初に対話し、悪魔が神に挑戦するのです。アブラハムとその息子はは賭け事のコマとなり、神への絶対的な信仰が試されるのです。この構造はヨブと全く同じです。
この作られた物語には悪魔が出てきます。作り出した神には誤謬がつきまといます。悪魔伝説もまたその証左でしょう。
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では現実世界ではどうなのでしょうか?物語を作ってはいけません。