投稿者 スターダスト 日時 2006 年 7 月 21 日 23:38:02:
本日知って、嬉しくなったので書き留めておきます。
イエスが復活した前後の時系列を現代の聖書によって、一般的に信じられていることをまず、書き出してみます。
・「最後の晩餐」(木曜日)
・「準備の日」(金曜日)
午後3時に処刑され、その日のうちに墓に入れられる。
・「安息日」 (土曜日)
墓の中。
・「週の初めの日」(日曜日)
朝早く復活する。
わかりやすくまとめている文献があります。佐倉哲氏によるものです。(佐倉氏の他の文献も非常に良いので熟読してみると良いかもしれません。)
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/death_of_jesus4.html
【引用】
イエスが処刑され、その遺体が墓の中に収められたのは「準備の日=安息日の前日」つまり金曜日の午後でした。
-----------------------------------
マルコによる福音書 15:33-47
昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。・・・イエスは大声を出して息を引き取られた。・・・既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるように願い出た。・・・ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から下ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に収め、墓の入り口には石を転がしておいた・・・。
-----------------------------------
ところが、イエスは「週の初めの日」(安息日の次の日=日曜日)の「朝早く」に、さっさと墓から出てきてしまいます。復活物語です。
-----------------------------------
マルコによる福音書 16:1-9
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。・・・イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアにご自身を現された。
-----------------------------------
このために、イエスが墓の中にいた期間はわずか一日半ほどでしかなかったことになります。
【引用終わり】
また、キリスト教社会には、「聖木曜日」という概念があります。イエス・キリストと使徒たちの「最後の晩餐」を記念する日は木曜日だったのでこれを思い起こしながら特別な典礼や礼拝を行う風習があります。
以上が常識的な、共観福音書=マルコ・マタイ・ルカ福音書による、イエス磔刑周辺の曜日に関する理解です。
佐倉氏によらずとも、【イエスの復活が3日後】であるはずがありません。ところが聖書の他の箇所では【3日後の復活】を明記しているのです。これは何かを見逃していることになります。
なお、この投稿の主旨からはずれますが、関連がありますので説明をしておきます。ヨハネ福音書と、共観福音書とでは、ある重要な部分で食い違いがあるのです。共観福音書では「最後の晩餐」が、「過越しの食事」として明記されているのに対し、ヨハネ福音書では、最後の晩餐は「過越しの食事」ではなく、イエス逮捕後、『ヨハネ(18:28) 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで【過越の食事をする】ためである。』でもしっかりと書かれているように、最後の晩餐は、「過越しの食事」の一日前の夕食だったことになります。この食い違いは憶えて置かれると良いでしょう。【聖書はには一字一句間違いがない。なぜならば神が聖霊を通じて人にかかせているからだ】とする流れがキリスト教の本流にあるからです。
さて、以上が前振りでして、ここからがこの投稿の本題です。
一部の古いギリシャ語版の聖書の中のマタイ福音書では、【イエスは安息日の次の「週の初めの日=日曜日」】を示すところで、【安息日】が【複数形】で書いてあるのだそうです。このことは非常に重要です。私達現代人が充分に知らされていないことがらだからです。特に日本人は。ここで、安息日は通常土曜日の一日だけと解釈されていることに注視することが出来ます。土曜日以外にもうひとつの安息日があったなら????実は『過越しの日』が年に1回あり、これはとても大事な宗教的行事であり、安息日として呼びなわされても全く不自然ではないのです。
さきほどのタイムチャートを古いギリシャ語版マタイに従って書き直してみましょう。
・「最後の晩餐」(水曜日)
・「準備の日」(木曜日)
午後3時に処刑され、その日のうちに墓に入れられる。
・「過越しの日」(金曜日)
墓の中。
・「安息日」 (土曜日)
墓の中。
・「週の初めの日」(日曜日)
朝早く復活する。
「最後の晩餐の曜日」=「聖木曜日」の風習を諦めて(苦笑)「聖水曜日」に直すことによって、共観福音書とヨハネ福音書との「過越しの食事」についての差異への理解が深められるほか、イエスがきちんと「三日後に復活」したということが言えるようになり、聖書の他の部分との整合性がよくなります。
こうしてみると、13日の金曜日は縁起が悪いという伝習も実は間違っていたことがわかるのですが…このことについては聖書をもう一度熟読してみると良いかもしれません。
なお、タイムスケジュールに関する上の自然な解釈に従うと、共観福音書においてイエスが最後の晩餐にあたって「なぁ、おまえとおまえ、ちょっと出かけて来い、過越しの食事の準備をしようや。ついては出かけるとすぐに水がめをもった奴に出会うからそいつに夕食場所を案内してもらえ」というくだりは全くの虚像になってしまいます。この水がめを持った男は、シリア教会では他ならぬ福音書の著者であるマルコであったことになっています。一方近代聖書学によれば共観福音書の中で最も古く成立したのがマルコであり、マタイやルカではその記述をずいぶんとマネッコして後で成立したとされています。してみると、共観福音書内で最後の晩餐を手引きした水がめをもった男=マルコについての記述は、先ほどご紹介したイエスの発言とともにマルコによる作文であった可能性が出てきます。残念ですが。共観福音書よりも後日に成立したヨハネ福音書ではこのへんの記述はカットされており、また、最後の晩餐の曜日が一日ずらされており、より正確な記述に置き換えられたとみることが可能でしょう。
イエスが死んだのは何曜日?最後の晩餐は何曜日?
というお話でした。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
Powered by DomainService.jp