投稿者 スターダスト 日時 2006 年 11 月 29 日 21:29:24:
●レバノンの詩人、カリール・ジブランの言葉
http://www.japan-net.ne.jp/~junsho/punndareeka/punn15.06.htm
●「最近思うこと」
http://www21.big.or.jp/~pcs/ent/omoukoto/2003_5/zakkan_old18.htm
●「悪」
悪とは、飢えと乾きの中であえいでいる善そのものではないのか。
善は飢えている時、暗い中で食べ物を求め、乾きの中で腐った水さえ飲む。
分裂した家は、悪人の巣になるではないか。
舵のない船は、恐怖を引き起こすではないか。
自分を与えるならば、すべては善、自分に利益を求めるならば、すべては悪になるではないか。
飢え乾く根は求め、実った果実は落ちる。
善になれなくても、それがすぐに悪になるのではない。
眠っている人は何もしない。
人は、悪人から、それが良いことだと教えられて殺人をする。
人の悪意を起こしてはならない。
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/2006-10.html
●「善と悪」
あなたは善。自分自身を与えようと努めるとき。
しかし、あなたは悪ではない。自分自身のために求めようとするときにも。
なぜなら、求めるときにもあなたは、ただ大地にしがみついてその乳房を吸っている根であるだけ。
疑いもなく、果実は根に言うことはできません。「私のようであれ。熟し、稔(みの)らせ、常にあなたの豊かさを与えよ」と。
なぜなら果実にとっては、与えることは需(もと)めること。根にとっては、受けることは需めることなのです。
(++Hiros'Diary++2005年9月26日(月) )
愛し合っていなさい。しかし、愛が足かせにならないように。
むしろ二人の魂の岸辺と岸辺の間に、動く海があるように。
おたがいにの杯を満たし合いなさい。
しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。
おたがいにパンを分け合いなさい。
しかし、同じひとつの塊を食べないように。
一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。
しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。
ちょうどリュートの弦がそれぞれでも、同じ楽の音を奏でるように。
おたがいが心を与え合いなさい。しかし、自分をあずけきってしまわないように。
なぜなら、心というものは、あの生命の手だけがつかむもの。
一緒に立っていなさい。しかし、近づき過ぎないように。
なぜなら、神殿の柱はそれぞれ離れて立ち、
樫の木と杉の木は、おたがいの陰には育たないのですから。
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