投稿者 高橋 直樹 日時 2001 年 2 月 22 日 23:04:50:
あの日航ジャンボ機墜落の3日後位に発売された、『週間朝日』ないしは『朝日ジャ−ナル』のどちらかに(喫茶店で読んだので記憶が定かでない)書いたあった記事は衝撃的でした。
浜松の自衛隊ミサイル発射訓練場から、訓練発射されたミサイルが(弾頭は積んでいない)迷走し、相模湾上空を飛んでいるJAL123便の背後から(熱線追尾型)垂直尾翼を破壊した。
コントロ−ル不能に陥った123便はダッチロ−ルを繰り返し御巣鷹山に墜落。自衛隊はただちに御巣鷹山に向かい現場を確認、夜のうちにミサイル破片を回収した。
週刊誌には、日本のミサイルを示す記号のついた破片を持った自衛隊員の写真が掲載されていた。しかし翌週の記事では上記のことはいっさいふれられていませんでした。