投稿者 高橋 直樹 日時 2001 年 2 月 23 日 22:27:27:
奇跡的に生還した落合パ−サ−(女性乗務員)の証言
「後部座席近くのトイレ付近の天井に穴があき白い煙(霧)のようなも のが入ってきた。」
同じく奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)
同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったときの話
「墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。
あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気が する。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので
助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚める と明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみん な死んでいた。」
慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えたらしい。
しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わってしまった。
123便が墜落した時、近くを飛んでいた米軍のヘリコプタ−(?)が救助に向かう許可を横田米軍基地に取ったが、基地からは「帰還せよ」という回答が帰ってきた。
米軍も自衛隊に救助を申し出たが「必要なし」の回答を得ている。