投稿者 ドライもん 日時 2001 年 4 月 29 日 16:37:42:
回答先: Re: ヒトはどうして死にたがるの? 投稿者 瑠璃/K 日時 2001 年 4 月 19 日 00:36:34:
|> 細胞がどうとかとか 脳がどうだとか
|> そんなこと 僕にはどうでもよかった
|> ただ嬉しかっただけ
|> この感じをつたえねば とも思わない
|> おもいあまって書きました
|> あまりに嬉しかったから
|> それだけのことです
|> もう二度と書かない
|> どんなに嬉しいことでも 僕は文章にはしないでしょう
|> 大切にしたいから
|> 何を言っても 宇宙的かどうか というふるいにかけられる
|> それが障壁になっている
|> そう感じるとき
|> あんな本読んでなくてよかったとさえ思う
|> お時間とらせてすみません
瑠璃さんご指摘のとおりだと思います。
ただ、見方を変えることもできます。
瑠璃さんの言う「視点を変える」というものです。
例えば掲示板の書き込みを見て、宇宙的であるか宇宙的でないか
わけてしまうことができます。
しかし、この方法はあまり賢明ではないですね。
そこで全ての書き込み(意見)を受け入れるという方法もあります。
これは学校の先生が「よい生徒わるい生徒」とかまったく関係なく
すべての生徒に同じような気持で接するのと同じと考えてください。
掲示板の数も多いし、自由に意見が書き込みされるので、
当然、自分には理解できない、受け入れられない書き込みもありますね。
普通はバカらしい書き込みと思って扉を閉めてしまいがちですが・・・
何故そのように書くのか?
その人は何を考えているのか?
理由を考えてみるのもひとつの方法です。
そうすれば一つの人生が見えてきます。
自分の人生にも失敗や苦悩が多く存在してきたように。
理解しはじめると、批難は停止します。
お互いに理解できないことから、批難がはじまるからです。
というのがアダムスキーの書物の一つの読み方です。
僕の場合は文章が下手なので、思っていることと、書いた内容が
あまりにもかけ離れていて、投稿をためらうことが多かったりします。
そういう意味でも掲示板の書き込みに対しては、受容的に気楽に
考える方が賢明ですね。きっと
以上は蛇足でした。m(−−)m
最近は瑠璃さんの投稿が少なくてちっょとつまらないかな。
奇想天外な発想が多かったのでね。
お仕事忙しいのでしょうか?
冬の夜、凍てつくような寒さの中で、静かに雪は降り積もり、
春の雪解けとともに、小川の冷たい水の流れが、魚の目を覚まします。
冬が概念だけでその厳しさを十分表現しなければ、やがて来る春は
寂しいものになってしまうかも。