投稿者 純 日時 2002 年 9 月 06 日 20:24:11:
質問というよりも自問自答なんです。
私達が転生する時に持っていけるのは、宇宙哲学というよりも、自らの魂が学び取ったエッセンスのようなものだと感じます。アダムスキー氏が伝えたことを「信じる」ことよりも、深い意識(魂)のレベルで理解する(体験する)ことが大切だと思います。
フィーリング(触感)は目に見えない、言葉でも完全に表現できないものですので、一番大切なもの(真実)は直観するほかはないと思います。宇宙哲学は真実への道標です。道標自体は矢印ですので、そこに答えは書いてはありません。
しかし、真実のフィーリングを無理やり文字にした一語があります。
それは「愛」です。
アダムスキー氏は、宇宙の意識との一体化、万物との一体感、宇宙的なフィーリングなど、「愛」という言葉を使う代わりに、道標を伝えました。それはあたかも俳人が「美しい」等の感覚語を排し、自然描写に徹した五七五の旋律によって俳句という宇宙を表現することに通じるようです。
「宇宙的」という言葉のもつ雰囲気によって、「心霊」「宗教」といった地球的な雰囲気のものを見下すことは容易です。
しかし、宇宙哲学を実践していない多くの地球人、テレパシーも想念観察も未熟な多くの地球人、UFOを信じず、心霊やチャネリングにマインドを振り回されている多くの地球人と比べて、宇宙哲学実践者はより宇宙的な「愛」を感じている傾向にあるのでしょうか?
万物との一体感を感じる実践、宇宙の意識と一体となる訓練が、「愛」よりも肉体の能力開発に向かっているという全体的な傾向はないでしょうか?
宇宙的な想念という言葉は頻繁に使われますが、宇宙的な愛という言葉は聞きません。地上的な愛という言葉も聞きません。
宇宙的って、何でしょう?
追伸
こんなことを思いながら昨日眠りについたら、夢でアダムスキー氏が出てきました。オーソンの肖像の横にたつあの写真のような笑みを浮かべて、かなりスレンダーで背の高い感じのアダムスキー氏は、「バランスの大切さ」を説かれました。私は夢は潜在意識の創造物だと思う人間ですが、非常に鮮明な夢でした。夢の中のアダムスキー氏から圧倒的に感じたものを無理に言葉にすれば、それは「宇宙的な愛」でした。
ついでに、夢の中でアダムスキー氏の到着をお待ちしている時に、久保田八郎先生も夢に出てきて、私に手を触れて「頭をきれいにしてきたかい?」とおっしゃるので、「毎日シャンプーしてますよ!」と答えましたが、あれは「アダムスキー氏の教えを受ける時は、頭の中をクリアにしておきなさい」という意味だったのかもしれません(笑)