投稿者 瑠璃/佐々木和正 日時 2000 年 11 月 05 日 07:57:55:
回答先: ハンドルネーム 投稿者 田村恒雄 日時 2000 年 11 月 04 日 18:06:00:
田村恒雄様。
はじめまして。
同感です。
それ(私の感じたことと同じこと)がわかるかどうかはともかくとして、ですが。
今まで自分の中で問題にしていたことなのでレスします。
ちなみに私は、ここいる方達とは誰ひとりとして直接会ったことはありません。
私は約一年半前からここに書き込みさせていただいております。
はじめは「瑠璃」というハンドルで書いていました。
ハンドルを使うことは特に何とも思いませんでした。
いろいろなサイトを回ってみて、「そういうものだ」と思ったからです。
その後、あることがきっかけで本名を出すことにしました。
これは自分のやりたいことに対する判断です。
現在、ハンドルと本名を同時に書いているのは、
過去に書き込みしたのも私という個人であることを示すためです。
また、必要とあればメールアドレスも入れます。
これはプロバイダと契約しているひとりの人間であることを明確にするためです。
時々略式にすることもありますが、これはただの怠慢であったりします。
(cookieが動けば良いと思うときもある。)
とまあ、以上が私の移り変わりです。
では次にお尋ねのハンドルネームについてですが、
これには2つの意見を持っています。
まず、ハンドルだからできることがある、ということ。
私は小説好きですが、本というものは虚構の世界です。
つまり、いかに現実から離れていようと、今までつれていってくれた
ことのない世界を見せてくれる魔法があれば良いと思っています。
その意味で自由に書くべきです。
これをインターネットに当てはめるといろいろな世界ができて面白いのですが、
完全な虚構の世界を創りあげるまでに至っていません。
なぜなら、少なからず現実の問題を持ち出してくるからです。
遊べるほどに昇華して、世界を創っていくならば、ハンドルの方が有効です。
これはインターネット上での創作という可能性を考えています。
2つ目は「ハンドルネームの匿名性に問題がある」という考え。
インターネットとは現実と虚構の間に位置する中途半端な世界だと思っています。
そこに大勢の人がいる。これが現在の地球です。
私はインターネットというのは今の地球文明を見事に表現していると思いますね。
誰もが自分でいたくない。
そしてハンドルを使って別人格となる。(まさに何にでも名前を必要としている。)
自分ではないから何を言っても良いという風潮があります。
では、同じ事を面と向かって言えますか?というのが私の疑問です。
ハンドルを使っている限り真っ正面から受け止めていない部分があると思われます。
その方が楽だから、かな?
ハンドルネームという考え方そのものが弊害を生むもとです。
ただの古い習慣です。それを続ける必要もありません。
解決は簡単です。
ハンドルを使えないように世界中のネット環境を変えれば良い。
回線を接続した瞬間に実名でやりとりするように設定します。
ここにはプライバシーの問題が出てきます。
その他あらゆる問題が関係してきます。
経済、エネルギー、政治など。
地球の文明構造の問題です。
たかが名前のことと思われるかも知れませんが、
名前ほどこだわっているものも無いでしょうに。
とりとめなくて申し訳ない。
どうにもこういう意見はまとめにくいです。
たった今新聞を見ました。
ある番組の紹介をしておきます。
参考になると思います。
11月11日(土)
NHK総合 19時30分
「ネット・バイオレンス」野沢尚 作