投稿者 コスモス 日時 2007 年 3 月 26 日 10:34:47:
前回の投稿(2006-7-12)で、
「想念観察」について誤って理解されないように付け加えますと、この
訓練法は結果的に「古い習慣的想念を消滅させる」方法であり、「自分
自身の想念をコントロールする」ことを意図して「想念観察」を行うも
のではありません。
心の知覚力を拡大するという以外の意図を持って「想念観察」を行うこ
とは、かえって「想念観察」を限定したものにしてしまうからです。
と書きました。この点について、もう少し補足しましょう。
私は、想念観察とは自分を映す鏡のような作法(作用?)だと感じてい
ます。
私たちは鏡に自分の顔や姿勢を映して、髪型が乱れていないかとか、姿
勢が傾いていないかとか、服が汚れていないかとか、自分自身を見直し
ます。
自分の心を映す鏡を持つことによって初めて、自分自身を見つめ直すこ
とができ、心が安定するのです。
想念観察を修得していない人の心は、映りのよくない鏡のようなもので
す。
それはどういうことか?というと、心の中に自分の考え(想念)しかな
い、正確には自分の発する想念しか認識できないので、本当の意味で自
分自身を理解できていないのです。
現象の世界において、他者と自分との関係を認識することにより心が成
長するのと同様に、あらゆる想念を感受することにより自分自身の想念
を客観的に認識できるようになり、因の世界においても心が成長するの
です。
そして想念観察を練習することは、よりはっきりと自分が移るように,
この鏡を磨いてゆくような行為だと思います。
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