投稿者 調和の母里 日時 2004 年 2 月 27 日 01:49:02:
回答先: Re: はじめまして。 投稿者 テオドールチベット 日時 2004 年 2 月 25 日 19:18:08:
お返事遅くなりました。
テオドールチベット様、レスして頂きありがとうございます!
|> 私も観念としては、「全てにありがとうございます。」というのは良くわかりますし、そうなりたい、一部そうなっていると思うことはあります。
テオドールチベット様もそうでしかた^^大変嬉しく思いますv
ありがとうございます!!
|> ただ、恐怖心については前世の因縁でしょうか、幼少時から非常な恐がりでして、今もまだまだ引きずっています。だからと言うわけではないのですが、そう簡単に恐怖心というものが人間の心から無くなってしまうものでしょうか?完全に恐怖心がなくなったと言われることが、大変失礼ですが信じられません。
恐怖心も、「ものの捕らえ方」で変わってくるものです。
それを、恐怖と見るかそれとも、別のものとして見るか。
恐怖を作ったのは、人だと思うのです。
だから、最初から内にあった訳ではないでしょう。
少なくとも、生まれたときには持ち合わせていなかったはずです。
これ(恐怖心)は、自分を成長させてくれているものとか、乗り切らなければいけないものとすれば、自ずと脱出することが出来るのではないでしょうか?
恐怖心を恐怖で収めなければいいのです。
そうすれば、死に対する恐怖もなくなってくるでしょう。
|> 私はUFOに興味を持ちだして恐怖心が無くなったと思う部分は、例え死んでも意識というか魂は残るということについて、そして自分の体外離脱体験からある程度確信しているのですが、死そのものに対する恐怖は無くなったとは言えません。やはり飛行機とかで落ちる瞬間に、あるいは今まさに殺されるような状況の時に、恐怖を全く感じない人類は、世界に存在するのだろうかと思うのですが、如何でしょう?完全な悟りを得たような人は特別かもしれませんが、、、。
死というものに対してなのですか、
私は以前、死ぬとどうなるかがわからなくて
その時点では、少なからず恐怖を抱いていたと思います。
例え、死んでから魂が残るといっても
それだけでは、恐怖心は消えなかったわけです。
今は、もし今ここが地獄であったら天国であったら?
と思うと、少なからずここで有意義に過ごせる気がしてきたのです。
死ぬと地獄天国云々ではなく、今ここでこの場所で
生きていることが一番大切なのではないでしょうか?
私達は、死に恐怖を抱きますが
死というものに、目をやりすぎている気がします。
死んでからのことは、死んでからなのです
今があるではないですか!大切な、今という現在が!!
それって、「とても素晴らしいこと」だと思います!!
今の今を精一杯過ごさなければ、何にもなりません!!
そして、自分の魂が現世でやることを終えたら
少なからず、肉体は捨て
生まれる前に来たところへ戻るとは思います。
飛行機で落ちて死ぬ瞬間や
今まさに殺されそうな瞬間に
恐怖しないかは、定かではありません。
正し、それも一つの考え方によっては
随分変わってきます。
現世に、そういう恐怖を植えつけるものが
少なからず存在するではないですか
その恐怖を、一つ一つ変えていけばいいのではないでしょうか?
殺人事件がなければ、そういう恐怖の形もないでしょう
飛行機事故が100%起こらなければ、
そういう恐怖の形もないでしょう。
自分にいつか起こるかもしれない
(または起こらないかもしれない)恐怖の形を
起こる前から、恐怖心として抱いているのは
不信ではないでしょうか?
つまりは、自分を信じられていないのです。
周りを信じられていないのです。
(現在は、そういうことを信じられないのは無理もないですが)
もし、仮に自分が神に導かれて
神と一緒に生きていると知れば
それは少なからず、自分を信じ
神を信じ、自分を受け入れられたことになります。
そうすれば、もう怖いものなんて存在しないのです!!
すべては、神のお導きなのですから。
そう思えば、少なくとも恐怖心はなくなってくるはずです。
私は、別にいつか起こるかもしれないことなんて
今は考えません。
今、そのときを一生懸命に生きていれば
そんな起こらないかもしれないことに
いちいち気を取られている必要なんてないのです。
全ては、永遠の神なのですから
即ち、永遠の愛です。
愛は無限です。
「無限の無限のありがとうございます」
で、その愛を限りないものに
して行こうではありませんか。
私は、少なくとも
神に任せます。
全てを、受け入れます。
そうすれば、何も怖くなどないのです。
|> それはつまり自己保存の本能が無くなってしまったもの凄い人という事になると思うのですが、如何でしょう?
神を受け入れていれば、全てが自分に必要なんだな
ということが、わかってくるでしょう。
「全ての形」が、【愛の形】でもあるのです。
恐怖心と抱くものさえも、(どうして、そういう恐怖心があるのか)わかってもらいたく存在するのではないでしょうか?
そこから逃げずに、真っ直ぐにそれを受け入れて行ってはどうでしょう?
どうして、自分はこの恐怖におびえているのか…?
この恐怖はどこからくるのか…?
恐怖とは何か…?
自分とは何なのか…?
本当の答えを持っているのは、自分なのです!!
自分の本当の心を知れば
何にも恐怖などいらなくなるのです!!
自分は自分なのですから。
自分という形を精一杯出せずに
恐怖に縛られていたら
何か、凄く悲しいと思いませんか?
それは、つまりは悪いものに縛られた世界
地獄に生きているといっても過言ではありません。
今を、地獄で生きるか天国で生きるかは
自分次第なのです!!
私は、地獄で生きるのをやめました!
これは、自分でしか解決は出来ないのです。
少なからず、本当の自分(最初から内にある自分(意識))と
偽りの自分(社会で植えつけられてきた意識)
との葛藤がものすごいことになります。
どちらを生かすかは、自分次第なのです。
あなたは、今を天国(本当の世界)で生きたいですか?それとも、地獄(偽りの世界)で生きたいですか?
|> ただ、母里様が言われる神(私はこの表現はあまり好みません。万物の根元、とか創造主の方が好きです。そんな事にこだわる方ではありませんが、)への信頼やそのご意志に従う、一体化しようとするその気持ち、考えは同感ですし、とても大切だと思います。
ありがとうございます!!
とても、嬉しく思います。
それを、気づいてやっている人と
気づいていないがやっている人とでは
少なくとも、意識的に違うと思います。
とても嬉しいです!!
ありがとうございます!!
全ては、「自分の使命を受け入れて」
それに通じていけばいいのではないでしょうか?
自分は神と通じている
自分の中に全てがあると思い。
傲慢に振舞ってはいけませんが。
「全てを受け入れて行ってはいかがでしょう?」
それでは、大変長くなってしまって申し訳ございません。
それでは、これにて失礼致します。
それでは、ありがとうございました^^