投稿者 コスモス 日時 2005 年 6 月 07 日 12:17:57:
回答先: Re: 近況報告(議論をうまく、かつ公平に展開していく素質) 投稿者 /Ka++ 日時 2005 年 6 月 04 日 17:15:21:
私たちが何かについて語りあい、ある問いかけに対して答える。
そのとき私たちは何を感じているのでしょう?
人々の集まりで他の人たちの話が退屈に思ったりすることも
あれば、子供の素朴な質問に感心することがある。
ある事柄について語り、それに対して問いかけ、また答える
という行為(対話)は、絵画、音楽、料理などの創作に例えて
みるとわかりやすいと思う。
私たちの会話のほとんどは、自分の料理を作って、他の人に
食べてもらうことに近いと思う。
おなかがいっぱいの人は、どんなに美味しい料理でも食べて
くれないだろう。
そして、ある人が作った料理をまずいというのも簡単だ。
全部食べなくても、一口食べればまずいことは誰にでもわかる。
地球人は自ら感覚力を狭め、理解力の容量(というか関心を持つ
範囲)を狭くしてしまったように思う。
つまり、あまりたくさんは食べられないし、味覚も偏ってしま
っていると思う。断定してしまいます(笑)。
結局、ある特定の範囲の物事にしか関心をしめさず、その範囲外
の質問を無視するのだろう。
子どもの心はこのような理解力の限定化がされていないので、
知識にたいする欲求のままに問いかけをするのだ。
子どもの問いかけが心地よいのは、その問いかけに答えること
によって子どもの心の発達を感じることができるからだと思う。
難しい話になってしまいましたが、日常、人々の会話がつまら
ないなと感じることもあるでしょうが、自分自身の心の成長を
促す「問いかけ」を探してみることお勧めします。
|> 私も仕事柄よく技術講習やセミナーに行きます。
|> でもほとんど質問が出ないですね。
|> このシラケたムードが嫌で、
|> 細かいことから広範囲な分野にまたがる質問をするようにしています。
|> 傾向がありまして、講師が日本人でない方が質問があるんです。
|> ネット上の技術フォーラムでも英語の方が盛んです。日本で流行の技術なのに。
|> これはなぜかと思いました。
|> 隣の会議室「宇宙と自然科学」で紹介した本「雲はなぜ落ちてこないのか」に、
|> 白川英樹さんの経験談が書かれていました。そのまま抜粋します。
|> 『パネリストの一人であったノーベル賞化学者の白川英樹先生が、子供時代の経験とし
|> て次のような話をされました。「理科の教師に、”雲はなぜ落ちてこないのですか?”
|> と質問したら、”それは雲をつかむような質問だね”と洒落を言って、まともに答えて
|> くれず失望した」という趣旨でした。』
|> こんな状況が続いたら質問する気も失せます。
|> おそらく子供心にこう思うに違いないのです。
|> 「質問の答えをくれなかった。僕の思いつきは何の価値も無いんだ。」
|> 人に質問することの価値と、質問に回答することの価値がわからなっていく。
|> それはやだなあ、と思う。
|> 聞くは一時の恥・聞かぬは一生の恥。これは知恵だと思いますね。
|> 反骨心を持ち、その質問に最初に回答するのはこの私だ、
|> と思う人が科学者になっていく。
|> でも、質問された大人も同じ子供時代を過ごしたんです。
|> 答えられない=悪とする大人の事情をおしつけることは、
|> 子供に対する裏切りだと思ってます。
|> 「そんなこともわからないのか」という人が多すぎます。
|> 「わからんことはわからん」と平然としている私のような人間は最も嫌われます。
|> 人間はいつの間にか神になった。しかしその人間は神こそ愛だと戯言を言う。
|> 議論を展開していく素質、それも公平にできる人にまだあったことがありません。
|> その人は何のわだかまりもなく、
|> きっと舵取りをしているとも思っていないでしょうね。