投稿者 ドライもん 日時 2000 年 6 月 29 日 02:17:39:
回答先: 宇宙の意識ってなんだろう 投稿者 ホーリーベル 日時 2000 年 6 月 27 日 20:29:37:
|> おさなごのようであれ、という言葉を思い出しました。
|> 蓮の花が泥の池にさくようすも連想しました。
|> 忘れがちな素直さをいつも身につけていたいと
|> 思いました。
ホーリーベル さん
どうもありがとうございます。
本当は愛と言うべきなのかもしれません。
しかし、愛は自分から求めても手に入らない。
その一歩手前の気持ちとして、自分の手の届く目標として、
夢、童心、純真さ、やさしさ
という言葉を使ってみました。
何かのトラブルで自分を見失ってしまったとき、この中のどれか
一つくらいは、すぐに取り戻すことができるのではないか?
という意味合いでした。
|> 意識的という単語が出てきたら
|> 「命そのものの」でおきかえると
|> スムーズに読めちゃったりするんです。
|> 意識的意識って、命そのものの意識。
|> 意識的知覚力って、命そのものの知覚力。
|> 意識的意識の意識的知覚力の拡大って、、
|> 命そのものの意識にささえられた
|> 命そのものの知覚力の拡大。。。。
|> すさまじくテレパシックであること。
|> これが本当の信念かもしれません。
|> 私たちの太陽系のお隣の惑星、金星では
|> おさなごのように純粋で素直で
|> すべての生命に命そのものを見るのですね。
素晴らしい!
たいへん勉強になりました。
地球にもたくさんの国があって、そこには自分たちと考え方や
習慣の違う多くの人たちが住んでいます。
交流も盛んに行われています。
惑星間でも大きな違いはないように思っているのですが、、、
地球には法律というものがあって、それによって多くのトラブルを
避けていると思います。
しかし法律という枠組みを、もし取り払ったとしたら、私たちは
うまく生活していけるでしょうか?
おさなごのように純粋で素直な人を、ときどき見かけます。
まるで金星人のようですね。
でもよく考えると、小さな子供は皆そうですし、
子供のまま大人になる人も少なくないと思います。
人間であるということにおいては、地球人も金星人も同じなのかも
しれませんね。
|> 隣人の中心に命そのものの輝きを
|> 実際に見ることができれば
|> おおいに、私たちの成長に役立つことでしょう。
都会の真ん中、多くの車が往来して人がせわしなく歩くような場所。
こんなところでさえ、命の輝きは、満ち溢れているのでしょうね。
|> わたしはともすると、誰かを援助したくとも
|> どうしたらいいかわからずに途方にくれます。
|> もしも創造の英知、パワーに気づけば
|> その指導に従って、どんなことでも
|> 良き実現がかなうことでしょう。
援助したいという気持ちが大切なのでしょうね。
誰かに手を差し出したとしても、本当にその人のためになったのかは
永遠に分からないのかもしれません。
しかし、その差し出す手がなかったとしたら、
もし、差し出される手がなかったとしたら、
日々の生活から何かが抜け落ちて、生きることが味気のないものに
なってしまうような気がします。
|> 「自分のことを完全に忘れる必要があるからです。」
|> よくいわれる無我のことでしょうか?
わたしが小学生のとき、たしか「道徳」の時間だったと思いますが、
「親切とは何か?」という授業がありました。
☆本当の親切とは、見返りを求めないことです☆
と、担任の先生が教えてくださったことがありました。
ボランティア活動や、家族や友人にたいして手助けをするとき。
他人のために一生懸命何かをしているとき。
☆いつの間にか自分のことを忘れて夢中になっている☆
このときに感じる、心の広がり、純真さ、やさしさ、愛。
休日に旅行に出かけて、大自然の素晴らしさの中で、
☆日頃のつまらないことを完全に忘れてしまうとき☆
感動というのがこのときの表現でしょうか。
何かを忘れることによって得られる☆純真さ☆というのは、
その先のものにつながる経路のように思います。