投稿者 住田 一成 日時 2002 年 11 月 28 日 23:55:11:
回答先: Re: アダムスキーを通しての倶舎論研究の必要性について 投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 28 日 00:01:45:
>日本においては仏教との関係性について考えるという指向性は自然な流れのように感じるのです。
そういったことはあるでしょうね、でもそれでどうなるのですか?
これはほんとうにわたしがもっている素朴な疑問です。連想していても未来は来ないように思うのですが、、、、、、、
ところで個人的なことを書けば私は個人的にはキリストやブッダの教えにはかなりの関心があり、しかも実践的な点から複数のグループに属しています。そのグループ名はご存じないことでしょうから書きません。好奇心をそそる気もないですからね。
そういった視点からすればそれらの教えは現在進行形のものです。あまり話の上だけで終わらせるには惜しいものだと思いますね。
「否定」という単語が出ていたので以上のことは一応書いておきます。私は、本当にすごい思想があるんなら、世界のどこでも飛んでいく準備がある人間です。
どこの世界にもオープンマインドの人とそうでない人はいますから、仏教の世界でもそういったことに興味を持つ人はいるでしょうね。でも人には自由意志がありますから、あなたの意志で人を変えることはよい事ではありません。それは基本的に不可能なことです。アダムスキーの本はまだ手に入りますから、求める人がいれば自然に手に入っているものです。
人を何かを読んで変化するということはないです。実践の中から
わかってくるものがあるでしょう。
わたしも先先週、思考以外からの働きかけに気がつくことができました。それは確かにありましたが、何であるのかはわかりません。でもそれは繰り返し日常で起こっています。
でも読んだらわかるんじゃないかという意見もあるでしょうが
以下の意見はどうでしょうか。
http://homepage1.nifty.com/comz/itilusion.htm
ブッダの教えは表面的には隠れてしまっているので経典の中に求めても
なかなか識別できないものでしょう。
それでもさまざまな形で意外に多くの手がかりが残されていると感じています。私は学べるものは何でも参考にしています。
日本ほどいろいろなものが手に入る国ではなかなかないでしょう。
ところであなたの倶舎論研究の詳細はいかに?
どんな啓蒙活動していますか?