投稿者 異邦人 日時 2003 年 11 月 23 日 22:36:41:
新アダムスキー全集の『UFOの謎』のアダムスキーが世界講演旅行記のタイの滞在された時の、現地の英語が話せるとタイ人とアダムスキーとの対話の中に、私たち日本人にとって大変興味深い内容についてアダムスキーがコメントされていることに気付きます。n210の4行目には次のように述べられているのです。これは恐らく現地のタイ人がアダムスキーに対して述べたことですが『極東のある国々には古代における異星人の訪問に関するぼう大な知識を含んだ記録が残されている。これらの古文書は、古代にしばしば異星人が地球を訪れた時代について述べている。私が話しかけた人は、・・・・一般人がその知識から何かを学びとることができるようになるまで、その古文書を注意深く保存したのだと言った。』『その時が来るのはたぶんそう遠くないことでしょうと私(アダムスキー)は言った。』『それは個人次第です。いまは目覚めている人もいますが、大多数の人は眠っています。と彼は答えた。』この僅かな文章の中にアダムスキーはタイ人の述べたことに対して共感して返答していることが理解できる。しかし、始めに述べられている極東の国々に残されている膨大な異星人に対する長い間注意深く保存されてきた古文書とは、いったい何を意味しているのだろうか?タイは、仏教国でありそのタイ人から見た極東の国とは、韓国や日本の国と言うことになるだろう。そしてその極東の国の中には、膨大な異星人の訪問に関する記録の古文書が残されており、多くの人々は気付いていない状態であるが、そのタイ人もアダムスキーも、近い将来その古文書の意味が理解できる時が来ることを対話の中で述べているのである。それではその極東の国に残された膨大な古い記録書とはいったい何を意味するのだろうか?そのタイ人もアダムスキーも極東の国にある膨大な記録書があるということを認識した上でこの会話は成されているのである。この膨大な古い記録書こそ、極東の国に流されて今日まで保存されてきた仏教の膨大な経典の世界と理解することができないだろうか?アダムスキーが東洋人と対話をされた記録があまりない中でこの僅かな対話のコメントは私たち東洋文化圏の中に生きているものにとっては非常に興味深いコメントであり、当時GAPが東洋においては、インドと日本にしかなく、アダムスキーは自らの体験をインドの古代の宗教経典に求め、自らもチベットのラサにおいて、恐らく仏教を学んだ経験があるということを考えると、この僅かなコメントの中に極東の国の中に膨大な異星人の訪問に関する知識があると認識していたのであり、当時のタイ人の中にも、アダムスキーを精神的に理解する人々がいたのであり、アダムスキーが東洋人と対話をされたコメントがもっとあるのであれば、現在の日本人がすでに忘れてしまっていることに対して、自国の歴史や文化を通してもっと気付くことができたのではないだろうか?