投稿者 異邦人 日時 2005 年 3 月 05 日 17:40:35:
回答先: 五百億年前までの輪廻を透視する力 投稿者 異邦人 日時 2005 年 2 月 28 日 19:24:46:
たとえば今昔物語の本朝仏法部の中には、賢愚経出典の次のような物語が収められています。 昔、釈迦在世の時に一人の老人が釈迦の弟子の舎利弗の処に行って出家を願った処、舎利弗はその老人の過去世八万劫を透視した処、何も善根を積んでいないということで出家を許してくれなかった。そこで今度は目連の処へ行ったが同じ答えであった。そこで直接、釈迦の処へ行き願った処、釈迦は出家を許してくれたというのでそこで舎利弗は、何故にこの老人に出家を許したのですかと聞いたところ、
『この老人は過去世において八万劫の土地を塵にして一つ一つの塵を一劫と数えた時に、その数よりも前に人間として生まれていた時に一人の猟師であった。山の中で鹿を射ようとした時に虎に襲いかかわれ一度だけその時に「南無仏」と唱えた時の善根が残っており、その善根が今日まで残っていたので出家を許すのだ。』と述べたのです。
舎利弗はこの話を聞いて何も言えなかったということなのですが、この過去の仏教の経典世界の中には、現代の私達が信じることすら困難なほどの想像を超えた膨大な輪廻の世界が存在することが述べられておりその輪廻の世界がこの一人の老人の生命の中に存在しているということなのです。アダムスキーが述べている人間の転生輪廻の世界とは、私達現代人の感覚で想像することすらできないほどの遥かな巨大な転生輪廻の世界が、私達一人一人の個人の生命の中に存在しているのだということなのです。一人の個人の生命の中に無限の生命の輪廻の世界が存在しているということ。アダムスキーの述べていることも、経典世界で述べていることも同じことを示しています。