Re: 瑠璃さん、


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投稿者 瑠璃 日時 2000 年 6 月 07 日 20:54:10:

回答先: 瑠璃さん、 投稿者 スターダスト 日時 2000 年 6 月 07 日 14:34:27:

|> エネルギー密度が、電磁場の関数になっていること。

エネルギー密度、空間密度、物質密度。
この3つはすべて同じ事を言っています。
様相が違うだけです。
それを電磁気によっても記述可能ということ。

|> (光速度不変は捨てるんですよね?)

光速度は不変です。
ただし「その空間において有限」という意味。

例えば、空間Aと空間Bで光速度を計測したとしましょう。
計測機器はどちらの空間にも順応するので、同じ値を示します。
しかし、計測機器が独自の場を持っているとしたら、どうでしょう。
空間Aの波動にも、空間Bの波動にも順応しません。
このときそれぞれの光速度は、
空間Aではc(A)、空間Bではc(B)となり、
c(A)≠c(B)です。

測定機器は光速度を測れないはずだと考えるでしょうが、
エネルギー密度に左右されない測定機器ならば可能です。
それが造れるかどうかはまだ先の話です。

|> 瑠璃の相対性では
|> @の$と
|> Aの$とが
|> 違う値を持つ。
|> 実際、光速が、慣性系ごとに異なるのだから。
|> ただし
|> @とAにおいて$は
|> 瑠璃さんのいうところの
|> エネルギー密度に関係していると考えておく。

@の$とAの$は同じ値です。
これが違う値では相対性が崩れます。



次のように考えてみてはどうでしょうか?
太陽から光が届くまで約8分半かかるという話です。

地球から太陽までの距離をL[km]とします。
太陽から地球に光りが届くまでの時間をt[sec]とします。
そして、光速度をc[km/sec]とします。

L=ct ・・・・・@

距離Lは約1億4960万[km]です。

L=149600000[km] ・・・・・A

地球での光速度は約30万[km/sec]です。

c=300000[km/sec] ・・・・・B

以上から、
太陽から地球に光が届くまでの時間は、
@にABを代入して、

t=498.7[sec]

と求められます。
これを分と秒であらわすと、

t=8[min]18.7[sec]

つまり、太陽から地球に光が届くには約8分半の時間がかかるということです。
「私達は8分半前の光を見ている。」
と説明されたことがあるでしょう。



では、この算出値は正しいのでしょうか?
一応意味はあります。
しかし、相対性理論によるとそれは結果の一部にしかならないのです。

場合1。相対性を適用しない。
 地球での【長さ】の単位は太陽系において通用すると考えます。
 すると、地球から太陽の距離Lは幾何学の三角測量で求められたので、
 この値は使えます。

 では光速度はどうでしょうか?
 これも太陽系において通用すると考えます。

 以上から、太陽系において、
 @【長さ】は絶対である。
 A【速度】は絶対である。
 B【時間】は絶対である。(@Aから導かれる)

 到達時間が8分半となるのは、太陽系を絶対基準とみなしたからです。

場合2。相対性の適用。(長さは絶対とする。)
 地球での【長さ】の単位は太陽系において通用すると考えます。
 すると、地球から太陽の距離Lは幾何学の三角測量で求められたので、
 この値は使えます。

 では光速度はどうでしょうか?
 使えません。
 それは地球の表面で計測した値なので、それ以外の場所には適用できません。
 地球の重力圏内で通用すると考えます。

 以上から、太陽系において、
 @【長さ】は絶対である。(前提)
 A【速度】は相対である。
 B【時間】は相対である。(@Aから導かれる)

 よって、光の到達時間は不明です。
 なぜなら、
 地球重力圏内の光速度をc(地球)、宇宙空間をc(宇宙)とした場合、
 c(地球)≠c(宇宙)
 となるからです。

場合3。相対性の適用。(長さも相対。)
 @【長さ】は相対である。
 A【速度】は相対である。
 B【時間】は相対である。(@Aから導かれる)

 何も基準が無く、もはや到達時間を測ることは不可能です。



あまり「相対的」を言い続けると意味が無くなることも言っておきます。
上記の「絶対」「相対」はそれぞれの比較の為だけに書きました。
「絶対」は適用範囲全体に対して通用する、
「相対」は適用範囲全体には通用しない、の意味です。

「全てが相対的である」
と言うには神の視点に立たなければなりません。
これは極端な話です。
また、
「全てが絶対的である」
これも極端です。
「私は宇宙である」と言うのと、
「私は素粒子である」と言うのは、
どちらも極端すぎて意味が無くなっています。

科学では常に観察者という基準に従って記述されます。
しかし、観察者も相対的と言ってしまうと、科学は成立しなくなります。
比較できなくなるからです。
これも極端ですね。

バランスの問題です。
地球人がこの空気の底から抜け出す為に、
ほんの少しバランス回復が必要なのでしょう。

光速度とは
「空間で波動が光形態で伝達する速度」
の意味です。
私はこれを言いたいのです。
場所によって違う有限値をとると考えられる、と。

指摘したいのは、
「光速度は秒速30万キロである。」
という表現の適用範囲です。
それは地球の表面で成立することであり、
他の惑星や他の星系にこの値が適用できるかどうかは不明だということです。

未だ他の惑星にも行けないのに、
なぜ宇宙全体で同じ値を持つと言い切るのでしょうか?
この無意味な頑固さを取り払わねばなりません。



スターダスト様は既に知っているでしょう。

|>物理的情報速度の最上限(=真空中の光速度)
|>が可変だとするとE=MC^2は出てこない、、気がする。

有限であれば代数cが意味を持つので等価公式は成立します。
しかし、
「それが秒速30万キロとは言っていない。」のです。
アインシュタインがあくまで代数としているのは意味があります。

従って、こう言える。
マイケルソン・モーレーの実験などは、地球の固有値を計測したに過ぎない。
それは相対性理論に反するものではない。

(法則の数学的な形は変わりません。
(「エネルギー」「質量」「空間」「時間」
(この4つが関係している。
(ここに等価原理に意味があると考えられます。

(これを進めていくと清家氏の理論になります。


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