投稿者 スターダスト様 日時 2003 年 7 月 18 日 17:40:50:
回答先: Re: 電子は自転したり公転したりするのでしょうか 投稿者 スターダスト 日時 2003 年 7 月 17 日 22:53:02:
(1)
|> |> 数学は実在の世界を
|> |> 「数」を通して、
|> |> または、「数」の文化を通して、
|> |> 反映したもの
|> |> だと私は考えています。
|> |> 数学作ったのは人間です。
|> |> 実在・世界が数学を作ったのではありません。
|> 実在とは無関係な構造が数学を通じて
|> 存在していると思われませんでしょうか?
実在と無関係なわけがありません。
数学は実在を反映している
と私は言っているのですから。
数学の中に
ある実在のある構造が反映しているのです。
実在の構造そのものが
数学に反映されているわけではありません。
数学自身は、
物理的実体を持たないのですから。
|> いや、数学自体が構造なのですが。
数学自体が構造と言っているのは
フランスのブルバキでしょう。
そういう考えもあります。
|> 宇宙がなくとも数学だけは独自に
|> 存在しうるでしょう。
宇宙がなければ、
人間も存在しませんので、
この文は、意義を持つ事は
できません。
|> 数学は物質的な肉体を持ちません。
そうそう、この部分は、
私の考えと同じです。
|> |> 過不足のない反映ではありません。
|> |> 過不足が必ずあります。
数学は、
「物質的な肉体を持」たないので
当然過不足があります。
|> 私の説明を誤解なさっていますか?
仮定ですが、
誤解していると私がわかっていて
あのような文章を書いたと
お考えになってらっしゃるのですか?
もしそうなら、それこそ誤解です。
私としては、私なりに理解して、
書かれた文章を元に、
考えて書いています。
誤解するつもりでかいている
のではありません。
ただし、2者は、違う人間なので
誤解もあり得る、とは考えられます。
そしてabove all付け加えて、
知識の多少も
関係あるのでしょうか。
|> |> そこに
|> |> 数学を使った宇宙・世界の理解(?)の仕方に
|> |> 悪魔がしのびこむ元になるのだと
|> |> 思います。
|> このご意見には、首をかしげます。
そうですか。
「悪魔」というより
「誤解」がより適切な言葉かもしれません。
|> |> ですから、数学的感覚に頼って
|> |> 実在を理解することには危険が伴います。
|> いいえ。
そうですか。
ある種の危険を意識しない
学問の学び方は、危うい
ものがある。
|> 宇宙の美しさは当然、
|> 数学的な美を伴います。
私は、宇宙の美しさを感じる時に
数学的な美は、考えずに
美しさそのものを
または
単に美しさだけを感じたい
と思っています。
他の人の場合は伴ってもいいけど、
私の場合は、NOと
言っているのです。
|> |> ゲーデルの不完全性定理によって
|> |> どんな、または全ての、
|> |> 完全な整合性のある体系の中にも
|> |> 必ず、不完全さが内包されているからです。
|> ゲーデルの不完全性定理は
|> 命題の証明不可能性を論じているだけで
|> 命題自身が真であることを否定していません。
|> 「真」(完全)であることを
|> 示すことができない(不完全)
|> であるが
|> 「真」(完全)であることを否定もしません。
|> また、「どんな」というのもどうでしょう?
|> 自然数論を含む数学的な体系についての
|> お話しでしょう?
|> 自然数論を含まない
|> (つまりゲーデル数を構築できない)
|> 数学的体系については何も言及されていません。
ゲーデルについては、私は、理解不足のようですね。
ご教授ありがとうございます。
ゲーデルについてはこの程度の理解でした。
失礼いたしました。
改めて、
私は何も知ってはいない事を
確認しました。
ありがとうございます。
しかし、私自身は、
「どんな、または全ての、
完全な整合性のある体系の中にも
必ず、不完全さが内包されている」
と感じています。
これは今のところ
変える必要が起こった事は
ありません。
|> 数学=不完全という図式は納得がいきません。
数学=不完全
とは
私は言っていません。
数学は、
それなりに実在を反映している
としか言っていません。
不完全な部分も内包して
いますが。
どんな学問だって
不完全さは持っていますよ。
なぜなら
人間の思考の論理で構築されているから。
compileだって、
最初は人間の論理から始まります。
|> |> 「非常に残念ながら、現代の地球の自然科学、
|> |> 特に物理学方面においては、抽象化された
|> |> 数学で語られるある種の感覚について学んでおかないと
|> |> 正しく現象を理解できない可能性が非常に高いです。」
|> |> こういう事を学んでおくと
|> |> どんな感覚が身につきますか?
|> 宇宙がより美しく感じられます。
|> (^^)
そうですか。
「現象を正しく理解できる可能性が増える」
と答えてくれるのかな
と思っていました。
私は、数学を学んでいなくても
宇宙の美を感じる事はできるし、
その方がよいと考えています。
宇宙を
より美しく感じるのは
何も数学だけでもないし。
とりわけ、
美的感覚だけで感じるのが
一番いいと思って・感じています。
この美的感覚ってやつも
何だということになるかもしれませんが。
|> |> これも端的に言ってください。
|> |> 無理?
|> |> どんな種類の感覚を身につければ
|> |> 理解できる可能性が高くなりますか?
|> |> 私は、この感覚を身につけて
|> |> いるのでしょうか?
|> おそらく。
|> |> 多分、身につけていないんでしょうね?
|> |> なぜなら、
|> |> スターダスト様が
|> |> 取り上げて書いているからです。
|> 意味が不明です。取り上げている?
すみません。私の言い方がまずかったようです。
「非常に残念ながら、現代の地球の自然科学、
特に物理学方面においては、抽象化された
数学で語られるある種の感覚について学んでおかないと
正しく現象を理解できない可能性が非常に高いです。」
と、書かれていることです。
このことを述べているからです。
一応HPに書いているので
閲覧者の大多数にこれを読んで欲しいんだろうな
と考えるのは、当然ではないでしょうか?
そして、
私もその中に入っているんだろうな
と思ったからです。
(2)
|> |> 私はこれを勝手に「数覚(すうがく)」と
|> |> 呼んでいます。日常の生活の感覚を
|> |> あきらかに超えた知覚の鍛錬をしなければ
|> |> ならないでしょう。
|> |> そうですか。
|> |> 私は、そうは思いませんが。
|> |> 「知覚の鍛錬」って?
|> |> 数学的な思考も
|> |> 私には日常の生活の感覚
|> |> と思っていますが。
|> |> こうは思わない
|> |> ってことですね?
|> |> 日常の生活に数学が入っているかいないか
|> |> だけの違いでしかない
|> |> と思います。
|> |> 数学を特別視していませんか?
|> |> 単なる数学でしかありません。
|> |> 数学が好きだから
|> |> こういうワナに陥るんじゃないですか?
|> |> 、と私は思うんです。
|> |> どうでしょう?
|> 数学が好きかどうかではなくて
|> 私は数学が物理学に使えることが
|> 凄く不思議なんですよ。
|> ご意見を頂ければと。
なぜそんなに不思議がるんですか?
私は、あんまり不思議に思いません。
なぜなら、
数学も物理も実在から出発しているから
だと考えられるからです。
やはり依然として、
知覚の鍛錬(=ある種の感覚を身につける)
については、わかりません。
(3)
|> |> 数学の真の理解はアダムスキの言うところの
|> |> 「因」の世界をかいまみているのではないかと
|> |> 思っています。
「数学の真の理解」って
誰がしていて
誰がしていないのでしょうか?
「数学の真の理解」って
何ですか?
失礼だとは思いますが
誤解を恐れずお聞きしてみます。
スターダスト様は
真の理解者ですか?
または、
何パーセント理解していますか?
(これも失礼ですが)
なぜなら、
真に理解している者だけが
あのような文章が書けると思える
からです。
何パーセント理解すると
「因」の世界をかいまみる
ことができますか?
私は、多分1ミルも
理解していないと
思っていますが。
私は多分、
その因の世界をかいまみる事は
できないんでしょうね。
別に、
残念だとも思いませんが。
できないことを探求するより
私は、できると思える事を
探求する方が楽しいと
感じる人間です。
|> |> 数学的な意味で
|> |> 「因」の空間があって、
|> |> 数学を理解すれば
|> |> それを理解できると考えるのは
|> |> ちょっと危険じゃないですか?
|> なぜですか?
前述しましたので省略します。
|> |> 因果の間にも因を入れる事ができます。
|> |> また、結果を因にすることもできます。
|> 結果の世界における因果関係でしょうか?
この文章がわかりません。
因の世界と結果の世界に
分けられるものなんですか?
思考上は可能だとしても
実際は不可能です。
論理でも、時系列でも
因果律はあります。
そんな事
(=因の世界と結果の世界に
分けること)は
まず無理でしょう?
世界があって、
その中に因果関係が生まれてくるんだ
と考えていましたが・・・?
|> ビリヤード、玉突きのように。
|> この玉がこうころがるから
|> 次にこうなる、、というのが
|> 結果の世界における因果関係です。
なぜ「結果の世界における」
と言えるんですか?
|> 結果の世界を生み出した意識のことを
|> 因と呼びましょうか?
呼び方で
内容が変わる事もありますね。
宇宙の意識が因ですか?
宇宙の意識なんて
毎日見ているでしょう?!
|> ビリヤードをプレイする存在が
|> 「因」ですね(^^
|> 数学的構造は
|> ビリヤードのキューです。
|> キューが玉を転がします。
|> 玉の転がりは、宇宙です。
|> 玉とキューは互いに独立です。
何をおっしゃりたいのか
よくわかりません。
ビリヤードはわかっています。
MIB2の映画の最後で
ビリヤードの場面が出てきます。
しらないかもしれませんが。
アダムスキーが言った事は
少し知っています。
だけど、
「因」の世界だけを見なさい
とは言ってません。
因果関係=カルマ
を見なさい、
と言っているんじゃないでしょうか?
|> |> 因果で一つのセット
|> |> と思考上考えるのだと
|> |> 私は考えていました。
|> |> 原因と結果を切り離して考える事に
|> |> あまり意味はない、と思います。
|> 御意。
end of thought