投稿者 スターダスト 日時 2003 年 7 月 17 日 22:53:02:
回答先: Re: 電子は自転したり公転したりするのでしょうか 投稿者 スターダスト様へ 日時 2003 年 7 月 17 日 17:08:50:
(仕事場での
締め処理を機械にまかせたい気分ですが
それでも気をとりなおして)
|> (1)
|> |> 「私たちの感覚を超えた別の種類の知覚」
|> 「非常に残念ながら、現代の地球の自然科学、
|> 特に物理学方面においては、抽象化された
|> 数学で語られるある種の感覚について学んでおかないと
|> 正しく現象を理解できない可能性が非常に高いです。」
|> なぜ?
「現代の」という限定をつけたつもりでしたが。
うまく伝わっていないようです。
|> 端的に表現する事は難しいですか?
|> (神様がされた事だから?)
質問の意味を推測して意見を述べてみます。
「【物理的な存在】を【数学を使わずに】
端的に「日本語で」表現することは
難しいですか? 」
という意味なのでしょうか?
この意味でのご質問であるならば、
【現時点においては】
全くその通りです。
日本語で表現しても、観測結果、実験結果と
照合できませんから。
ニュートンは、「万有引力がある」
と宣言しただけではありませんでした。
ケプラーの苦難の観測結果を説明できることを
ニュートン自らが開発した数学的な手法によって
証明してみせました。
それまでは天界の美、とされてきた
ケプラーの諸法則は、単純な原理、
「万有引力があり、かくかくしかじかの性質を持つ」
というニュートンの着想と、かくして連結されたのです。
「万有引力があり、かくかくしかじかの性質を持つ」
というニュートンの考えは、(つまり物理学モデル)
は、数学的モデルによって表現され、演繹された
計算結果が、観測値を比較されます。
1:現実→物理モデル→数学モデル→計算結果
2:現実の観測結果
1と2が比較されたときに、ニュートンの
内的完成度の高い物理モデルは
「有効である」と看做されます。
この手続きを外的な実証といいます。
外的実証だけですむなら、観測結果を
外装するような一連の計算式をたてれば
よいだけですが、それでは、ただの
経験則。
ケプラー的な世界です。
深い洞察によって万有引力があると
看破したことは、内的な完成度が
非常に高いわけですが、
ケプラーの示した外装的法則を
説明できなければ、
その内的完成度は只のゴミクズアイデアです。
|> 数学は実在の世界を
|> 「数」を通して、
|> または、「数」の文化を通して、
|> 反映したもの
|> だと私は考えています。
|> 数学作ったのは人間です。
|> 実在・世界が数学を作ったのではありません。
実在とは無関係な構造が数学を通じて
存在していると思われませんでしょうか?
いや、数学自体が構造なのですが。
宇宙がなくとも数学だけは独自に
存在しうるでしょう。
数学は物質的な肉体を持ちません。
|> 過不足のない反映ではありません。
|> 過不足が必ずあります。
私の説明を誤解なさっていますか?
|> そこに
|> 数学を使った宇宙・世界の理解(?)の仕方に
|> 悪魔がしのびこむ元になるのだと
|> 思います。
このご意見には、首をかしげます。
|> 数学的完全性は、
|> 物理的実在・世界の完全性ではありません。
当然です。
|> その数学的完全性の
|> 美(形式美なんですが)とか
|> 整合性に
|> 目を惹かれてしまう人もいます。
ピグマリオン症候群です。
|> ですから、数学的感覚に頼って
|> 実在を理解することには危険が伴います。
いいえ。
宇宙の美しさは当然、
数学的な美を伴います。
|> その理由は、
|> ゲーデルの不完全性定理によって
|> どんな、または全ての、
|> 完全な整合性のある体系の中にも
|> 必ず、不完全さが内包されているからです。
ゲーデルの不完全性定理は
命題の証明不可能性を論じているだけで
命題自身が真であることを否定していません。
「真」(完全)であることを
示すことができない(不完全)
であるが
「真」(完全)であることを否定もしません。
また、「どんな」というのもどうでしょう?
自然数論を含む数学的な体系についての
お話しでしょう?
自然数論を含まない
(つまりゲーデル数を構築できない)
数学的体系については何も言及されていません。
数学=不完全という図式は納得がいきません。
-----
話が混乱してきているなぁ、、SIGH
-----
|> 「理解できない可能性」よりも
|> 「実在・世界に肉薄できない可能性」の方が
|> 高いのではないでしょうか?
|> 二つの可能性は、比べられるのかどうか
|> 私には、わかりませんし、
|> 実証もいまできませんが。
|> こういう考えも
|> もちろん成り立ちます。
|> 私は、
|> いま自信を持って言っているわけではありません。
|> ですが、そう
|> 感じるのです。
|> 根拠は、私はそう感じたという事です。
|> それ以外の根拠は
|> いまのところありません。
|> 「非常に残念ながら、現代の地球の自然科学、
|> 特に物理学方面においては、抽象化された
|> 数学で語られるある種の感覚について学んでおかないと
|> 正しく現象を理解できない可能性が非常に高いです。」
|> こういう事を学んでおくと
|> どんな感覚が身につきますか?
宇宙がより美しく感じられます。
(^^)
|> これも端的に言ってください。
|> 無理?
|> どんな種類の感覚を身につければ
|> 理解できる可能性が高くなりますか?
|> この質問にはぜひ
|> お答えください。
|> 私にはお聞きする権利があると思います。
|> 私は、この感覚を身につけて
|> いるのでしょうか?
おそらく。
|> 多分、身につけていないんでしょうね?
|> なぜなら、
|> スターダスト様が
|> 取り上げて書いているからです。
意味が不明です。取り上げている?
|> まるで神様のようなお方ですね?
|> (少し冗談::)
いいえ、私は数学も物理も英語もできなくて
大学を中退した人間です。
|> (2)
|> 私はこれを勝手に「数覚(すうがく)」と
|> 呼んでいます。日常の生活の感覚を
|> あきらかに超えた知覚の鍛錬をしなければ
|> ならないでしょう。
|> そうですか。
|> 私は、そうは思いませんが。
|> 「知覚の鍛錬」って?
|> 数学的な思考も
|> 私には日常の生活の感覚
|> と思っていますが。
|> こうは思わない
|> ってことですね?
|> 日常の生活に数学が入っているかいないか
|> だけの違いでしかない
|> と思います。
|> 数学を特別視していませんか?
|> 単なる数学でしかありません。
|> 数学が好きだから
|> こういうワナに陥るんじゃないですか?
|> 、と私は思うんです。
|> どうでしょう?
数学が好きかどうかではなくて
私は数学が物理学に使えることが
凄く不思議なんですよ。
ご意見を頂ければと。
|> (4)
|> 数学の真の理解はアダムスキの言うところの
|> 「因」の世界をかいまみているのではないかと
|> 思っています。
|> 数学的な意味で
|> 「因」の空間があって、
|> 数学を理解すれば
|> それを理解できると考えるのは
|> ちょっと危険じゃないですか?
なぜですか?
|> 因果の間にも因を入れる事ができます。
|> また、結果を因にすることもできます。
結果の世界における因果関係でしょうか?
ビリヤード、玉突きのように。
この玉がこうころがるから
次にこうなる、、というのが
結果の世界における因果関係です。
結果の世界を生み出した意識のことを
因と呼びましょうか?
ビリヤードをプレイする存在が
「因」ですね(^^
数学的構造は
ビリヤードのキューです。
キューが玉を転がします。
玉の転がりは、宇宙です。
玉とキューは互いに独立です。
|> 因果で一つのセット
|> と思考上考えるのだと
|> 私は考えていました。
|> 原因と結果を切り離して考える事に
|> あまり意味はない、と思います。
御意。
|> (5)
|> 私は、電荷は、単にそこにある、と
|> 思っています。量子的なゆらぎでもって
|> 時空の中でぼわっとひろがっていますが。
|> この文章は、特にわかりません。
|> 「電荷がある」
|> と言っているだけですね?
いい間違いですね、訂正します。
|> EOT(=えんどおぶてきすと)
|> のつもりでした。
おお!
アスキーでしたか。