投稿者 佐々木和正 日時 2003 年 7 月 21 日 03:23:37:
回答先: 電子は自転したり公転したりするのでしょうか 投稿者 スターダスト 日時 2003 年 7 月 10 日 22:44:42:
誰だって真理を欲しているのでしょうが。。。
改めて科学ってなんだろうと思う。
科学的と言うことが科学になってしまうこの国では。
|> 現象を説明するに際して、さまざまなモデルを使うことがあります。
|> 電子が球体のように図解されている教科書や啓蒙書の絵柄だけ見て
|> 「もしもこれが電荷を帯びているなら、磁気が発生するはずだ」
|> と考えることも、ひとつのモデルでしょう。
|> このボードの最近のスレッド(一組の話題の系列)において
|> 上のモデルが中心話題となっているかもしれない、と
|> 強く感じました。そして、このモデルには、検討されまくりの
|> 限界があり、その限界を突破するには、私たちの感覚を超えた
|> 別の種類の知覚を援用する必要がある、という気持ちが強く
|> したのです。
おそらくは、スターダストさんの趣旨はこれ。
「このモデルには、検討されまくりの限界があ」ることでしょう。
だが、まだ検討されていないこともあるかも知れない。
そういうことを考える人のことをニッチ産業ならぬ、ニッチ科学者といいます。
言葉だけで話を進めていくと、言語の浮遊感覚が味わえますが、意味がわからなくなっていきます。
これは言葉の二面性である「言葉が意味するもの」と「言葉によって意味されるもの」が
互いに一致していないからだと考えられます。
そしてこれもレトリックになりますが、
二面性の二つの距離が最も近くて、科学に適用できる言語こそが数学なのでしょう。
それを理解する時要るものが「別の種類の知覚」だと言っているのではないかな。
単位抜きで話を続けることは互いの混乱の元になります。
点電荷の概念に対して、
単位長さあたりの、単位面積あたりの、単位体積あたりの電荷密度についてはどうか。
そういった物理量を交えれば特にどうということも無いと思われます。
しかし、ある程度の素養が無ければ、つまりセンスが無ければ、
その意味もとらえることはできませんね。
無い人は手を出さない方がいいです。翻弄されてグチャグチャにされてポイですから。
センスが無いからといってどうというわけでもなく、
むしろそういったセンスの有無に関係なく素晴らしい人がいます。
半定期的に会う人で、他人の感性を読み洞察できる人がいます。
その方は多くの人に慕われています。いつも会うのが楽しみです。
同じ時間感覚を持っている人もいます。一切言葉のない時間を一緒に過ごせる人です。
私はその人達に様々な科学の話をすることがとても野暮に思えてなりません。
とってつけたような説明がひどく空疎に感じられるからです。
だから、今はただ、同じ時間を過ごすだけです。
科学する心って何だろうと改めて思います。
子供の頃に思った、星がどうやって動いているのか知りたい、その気持ちだけはずっとあります。
あなたはどうです?