投稿者 XC 日時 2003 年 7 月 27 日 10:07:44:
回答先: 数学 投稿者 松本 日時 2003 年 7 月 27 日 08:55:39:
科学者の書いた本を見ると、自然界を記述するのに
数学という言語が向いているというのが、一般的な
科学者の見方のようですね。
→そうですか。
自然界の記述はね。自然界の理解ではなくね。
ただ、確かにもっとわかりやすく表現できると
望ましいですね。
→「もっとわかりやすく」というのは限度がないですね。
「単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を
見せるわけ,ジョン・D・バロウ,2002年」
[第4部 数学]
世界が次にとる一歩が,紙の上の走り書きで予測され
たものになるのはなぜか。
この宇宙が数学という音楽に合わせて進んでいるのは
なぜか。
→数学に合わせて宇宙が進んでいるのではない。
宇宙があって、数学から見ると、合わせているように見える
というだけの事ではないか。
この宇宙の物理的な面について、いちばん奥底の
イメージを支配する思考のカテゴリーとして、人の心
を最も強くとらえるのは数学だ。
→と、この人は考えているんですね。
そして、数学を理解したつもりで
この宇宙の物理的な面を理解したつもりに
なってしまう人が多い。
「だいたいそうなる」と言うだけでなく、いつも変
わらず、どこまでも正確に記述できるらしいという
ところだ。基礎科学−物理学、化学、天文学−は、
どれも数理科学である。
これらの分野で発見される現象については、必ず
数学的な記述ができるだけでなく、それが見事に
ふさわしいものとなっている。
→全てについて、これが証明されたわけではない。
まだ、ふさわしいかどうか判然としない事もある。
EPRみたいに。
科学は自然界に数学的構造があることを深く信じて
いるようで、
→「科学は」ではなく、「科学者の一部には」
「信じている」ようで。でないとこの文脈はおかしい。
「科学」自体が信じるわけではない。
「信じる」のはあくまでも人間だ。
素粒子による内側の空間から遠くの
星々や銀河による外側の空間−さらにはこの宇宙
そのもの−にいたるすべてを記述するには、数学
が必要かつ十分であるということは、まったく異論
の余地のない信条である。
→そういう信条もある。そうでない信条もある。
→宇宙の全ての記述するには、
数学が必要十分である
という事ですが、
宇宙について思考する時
数学を使って思考するわけではないこと
を忘れている。
その意味でこの信条は、不十分である。
この宇宙の構成に数学が遍在していることをどう考
えればいいだろう。この宇宙の内部に深遠なる論理
があることの証拠なのだろうか。そうだとすれば、
その論理は何に由来するのだろう。われわれの頭が
作ったものにすぎないのか、それとも神が数学者だ
ということなのか。
→宇宙があり、宇宙を反映したものとして
数学を作ってきた。
数学に合わせて誰かが宇宙をつくったわけではない。
これだけの事ではないでしょうか。