投稿者 /Ka++ 日時 2003 年 8 月 02 日 01:44:09:
回答先: 0と1 投稿者 純 日時 2003 年 8 月 01 日 10:28:17:
|> ゼロの扱いの差がある10進法と9進法の違いは、私にとっては大きなものです。科 学というよりも哲学的な表現で恐縮ですが、
確かに数字には様々なイメージがつきまとっています。
|> ゼロつまり無=無限=絶対=創造主というものは、それに近づこうとしたり、なろう とすると、逆にそれから離れてしまうものではないかと思うのです。方向性という相対 的なアプローチは分離を意味します。分離ではなく、一体化によってゼロは表現される べきものだと思うのです。
陰陽相和して何とかと為す
何とかって何だっけ?
中国の文化にありますね。太極=宇宙?のシンボル。
陽の中に陰があり、陰の中に陽がある。
それが組合わさったのが宇宙だよ、って昔テレビで見ました。
キョンシー(なつかしい)が流行ったアレにもありました。
あのシンボルを半分に分けると勾玉の形になるんですが関係あるのかな。
|> 一人の人間がオーソンのように、男性要素と女性要素の完全なバランスのとれた精神 的存在になれても、性別は男性か女性のどちらかであって、母船内の中性的な神の肖像 画のようにはならないように、男女という相対的なものが単独で絶対(ゼロ)になるこ とはないと思います。
もしくはなる必要がないか。
ゼロ=バランス点という意味が濃いですね。
|> 1プラス1は座標軸では2ですが、自然界では3になるとアダムスキー氏は伝えてい ます。3プラス3は7だと。+1と−1は、お互いを打ち消しあってゼロになるのでは なく、一体化してゼロを表現するのだと思います。それは座標軸のゼロとは少し違うよ うな気がします。
ここは数の概念から離れて考えた方が哲学的表現になりやすいと思います。
アダムスキーの本にある1+1=3からは、
等質なものを組み合わせることで状態が変化することを表現できますし、
純さんの書いた(−1)+(+1)=0からは、
対極にあるものを活用することでバランスがとれるのだと考えました。
|> ゼロと同様に1も自然界には存在しないと思います。
|> この自然界は全て陰陽、相対的なものですので、どんなに細かく分解しても、完全に 陰のみ、陽のみという1個は確認できないと思います。
|> あくまでも1を表現しているだけで、1なる男性(女性)の中にも父性原理と母性原 理があります。
ちょっとわかりにくく感じましたが、私なりの表現として。
中国の太極図も、遠くからは白丸か黒丸に見えて、
それがまた次の宇宙の一部分になるでしょう。
私には1+1=3の1が、存在の一単位を示しているように思えます。
それはひとつの宇宙であり、陰も陽も含まれていると。
|> イエスは、「私はあなたがたの体をつくる石ころである」というようなことを言いま した。イエスが神(ゼロ)の一人子(1)の象徴とすると、1が相対的存在をつくる最 小単位といえます。ですから、1は絶対と相対の橋渡しをする役目をしていると思うの です。
なんか同じようなこと書いてますね。
|> ゼロと同時に、1についても、現代科学、数学とは違う見方があるような気がするの です。
同感です。
違う見方もあり、どちらも有効に使えるものだと思います。