投稿者 茶 日時 1999 年 5 月 27 日 09:43:22:
回答先: テレパシー能力が解放されると 投稿者 ikawa 日時 1999 年 5 月 05 日 09:16:18:
|> 日本人はテレパシックな人種ですから、
|> 良質な想念の発信を心掛けた方が良いような気がします。
|> ikawa.
テレパシーの話と少し違って 失礼なのですが
ここに書かれている 良質の想念 というところが少し
気にかかるので 書いてみます。
良質 という概念は それぞれの個人の概念ですよね
絶対的な 良質 というのは恐らくは 無いです
自分が 良いと信じたところのことですよね
さてここからです 私のいいたいことは
かねがね 美とは何か と考えています
朝日や夕日の美しさ
新緑の森 初夏の花々 の美しさ
そういう美しさは 絶対的なことではないのか
と思うのです。 ときに 素晴らしい夕日に遭遇します
そのとき 胸の深いところから ああ とこみ上げてくる
なんともいえない気持ち・感情 は私自身にコントロールできる
ものではありません。 自身の知性理性を超えたところから
発生しているように思うのです。
そして 同時に その夕日を眺める友人等の他人も その
こみ上げ方の差 はあるにしろ やはり 感じています
その仕組みは 本能のように思うのです
決して 教育されたものではないでしょう だから
私の言葉では 生命の本質 から来ているものに思えるのです
そこで テレパシー これも人間に備わっている本能的能力
と私は考えます そして本能のところでは コントロールしよう
というようなことは 不可能だと思うのです
本能の上層に知性は乗っていると思います
無意識のところが本能に近いところでしょう
意識することは無意識の領域を離れてしまいます
コントロールしたいという意識が邪魔をすると。
仏教の修行でも無我といいますが そこが大切でしょう
なにも 思わなくなったとき 総てを受け入れたとき
真に目覚めるのだろうと 私は考えています
その考えからすると
良い想念 も 悪い想念 も総てあるならばそれを
受け入れる という考えになります
いずれにしても 考えているのは・想念の発想者は自身です
良くなりたい と考えるのは 悪い ところと比べることでしょう
相対的な良さ という世界は 井の中です
良いも悪いも無いのです これでは般若心経みたいですが
意識をこえたところに 本能の力があると思いますから
動物たちに未知の力があることと 同様でしょう
僭越なことを書いてしまいましたが もう少し加えます
IKAWAさんが 良い想念を と思わず
どんな想念であろうが それが自身だ と思われたとき
さらに テレパシー能力が飛躍するように思います
失礼いたしました
茶