投稿者 スターダスト 日時 2004 年 7 月 04 日 02:26:26:
この投稿は何かを主張するものではありません。
この投稿は誰かを肯定したり否定したりするものではありません。
ちょっと読んでいただければOKです。それ以上でも
それ以下でもありません。投げかけです。
テレパシーという単語自体の意味が、もっともっと
幅広く受け取られればいいのになぁといつも思います。
親和性のある理解といいますか、あ、わかるなぁ、という感じ。
そこには一切の不安も恐怖もありません。ただ、わかる。
これが求めるべきテレパシーなのだと思うのですがいかがでしょう。
テレパシーは思考の伝達にも使えるかもしれませんが
もっと幅の広いものだと捉えることが出来るのではないでしょうか。
経路が開けていれば、わかる、と言いますか。
ふとわかるといいますか。
気心知れた相手と会話をしている時に相手も自分も
ビックリするくらい、次に語り合う話題について
同じ題材を思いついているとか。。。
一見難しい科学の問題についてふと、あ、そうか、とわかる時とか。。
新約聖書を読んでいて、ふと情景が浮かんできて、
あ、そうだったのか、、と気がつくときとか。。。
冬寒い日にカバンの中に入れてあったアダムスキ全集に
偶然手を触れたら、とても暖かくてビックリした、、とか。。。
電話がかかってくる前に、その電話の相手のことを考えていたとか。
公園で仲の良い樹木に手を触れると生きる意欲が湧いてくるとか。。
昼頃になって急に腹痛がしてきて、その原因が、あ、
昨日食べたアレが原因なのかと、ふと、思いつくとか。
テレビでニコニコとしてしっかりと受け答えている
凶弾を受けた夫の未亡人が、、実はひどく嘆き悲しんでいることが
わかるとか。。
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うまく言えませんが、実際のところ、日常生活における
テレパシーなんざ、人間の口から出てくる言語以上の
存在であると思います。
限定的なテレパシーの応用として、明確な映像と明確な
口頭言語を付与して情報として伝達することは、、
確かにアリなのですが、、それは、、
全面的なテレパシーの発達によりベイシックが(基本が)
出来てこその応用技。
相手が人であれ、宇宙の真理であれ、科学であれ
芸術であれ、イノチであれ、なんであれ、
相手と自分が同じ生きる存在であり互いに
補完しあっている存在であり
互いに慈愛をもって生かしあっているのだと、、
気がついていくことが
テレパシーなのでなないでしょうか。
相手と自分が同じであること。。。
うまく言えません。
特定の立場で何かを主張するものではありません。
私はあなたを説得しようと思っていません。
私はあたたに納得してもらおうと思っていません。
ただ、ご挨拶を。。
愛しています。