投稿者 atom 日時 2001 年 5 月 25 日 00:37:26:
両手を見つめてみる。手のひらの血色がいい。場所によって肉付きが違い、
力の入り方で自然に細胞が順応して発達してきた。手の中で血の流れが活発で、
熱を放っている。手自体が人格を持っているようである。そして元気だ。
頼りになる。
風呂の中で見つめてみた。手を見つめていると体と手は一体でありながら
体から離れた感じにも見えてくる。それで手は自分のものだという認識が
ある。だから一つの入り口としての万物一体感となるのではないだろうか。
血流が手の先まで行き渡る。
手の一日での役割を感じてみた。曲げたり延ばしたり体の一部として一体と
なって動作している。
両手を見つめて生体エネルギー的な流れが何らかの能力開発になるのでは
ないかという印象を得た。つまり両手を見つめるという動作自体に何らかの
キーポイントがあって、潜在的に隠れた超能力、テレパシー、オーラ透視
などが目覚めることになるのではないかということである。両手を見つめる
といっても同時に両手を見るということはない。常に点が動いて全体を把握
するのである。両手を見つめるというのになぜ片方ではいけないのかなどと
考えてみると、両手(左右)顔(松果体)の三点での関係に何かあるのかもし
れない。時々、おでこがムズムズする。両手を見つめていつも30センチ
くらいの距離となる。そしていつしかボーッと両手を見つめている。そして
印象を感じたり、一体感を感じたりしているのだ。
細胞がブロックのようになっているようで、表皮も硬いようでけっこう
内部は空間で、本当に小さな物質がすりぬける様子が感じられて、表皮でも
角質化したものであっても体の一部としてしっかり生きていて大切な存在。
表皮の下ではリンパなどの流れがある。手の表面を見ていて地球の地殻
プレートを思い出した。どこか似ている。
今この左右の手は分かれているけれど、体にくっついて一体化している
んだ。このフィーリングは万物一体感の経路に通じている。この感覚が両手
を見つめる上でのポイントではないかと思う。そしてさらに手は体からより
離れたところで多くの奉仕をしている。見つめているとそんなことを思い出
されるではないか。万物も多くの奉仕をしている。一つとして不必要なもの
はない。何かの形として表現することで宇宙の完全さを現す。
両手は体と一体である。目で見ると分離している。目に惑わされない一体
感を高めることである。あらゆるところでこのフィーリングは生きてくる。