投稿者 Vosne 日時 2004 年 5 月 15 日 22:25:51:
回答先: Re: テレパシーとは 投稿者 Tatsuro 日時 2004 年 5 月 10 日 00:21:11:
|> 意識的自覚は情報などほとんどないのに、
|> まるで膨大な情報があるかのように思われている。
|> という一文が気になります。面白いです。もしよろしければ
|> もう少し詳しく教えていただけませんか。
∇抜粋です。
もしほんとうに意識に興味があるのでしたら、
私の適当な抜粋を読むよりも、この書籍を直接
読んだほうがわかりやすいと思います。
(ユーザーイリュージョン,紀伊國屋書店)より
・私たちは、感覚を通して入ってくる情報の量を測る
ことができる。
目の視細胞、皮膚の感覚点、舌の味蕾といった、各感覚
器官にある受容体の数を数えればいい。
それから、脳に信号を送る神経接続の数と、各接続部が
毎秒送る信号の数を計算する。
それを総合すると膨大な数字になる。
目は少なくとも毎秒1000万ビットを脳に送っている。
皮膚からは100万ビット、耳からは10万ビット、嗅覚器官
からはさらに10万ビット、味蕾からは1000ビットほどが、
毎秒脳に送られる。
合計で毎秒1100万ビットを超える情報が、外界から私たち
の感覚メカニズムに入ってきていることになる。
・しかし、私たちが経験するのはこれよりずっと少ない。
意識が処理する情報のビット数ははるかに少ないのだ。
科学者たちは、人間の意識が毎秒取り込める情報量を
何十年も前から計測してきた。
あらゆる方法が取られた。
人間が物を読んだり聴いたりするとき処理できる言語の
ビット数も測られた。
しかし、言語だけが研究の対象だったわけではない。
複数の閃光を視認して違いを識別する能力、皮膚に与え
られた刺激を感知する能力、匂いの違いを言い当てる
能力ほか、数多くの研究結果から計算すると、私たちの
意識は、毎秒およそ四〇ビットを知覚しているという
結論が引き出せる。
これでもまだ、実際の数値より多いかもしれない。
・感覚器官による知覚の段階では、毎秒何百万ビット
もの情報が受け入れられている。
ところが、意識はたった四〇ビットだ。
情報の流れを毎秒あたりのビット数で測ったものを、
<帯域幅>あるいは<容量>という。
意識の帯域幅は、感覚器官が知覚する帯域幅より桁外れ
に小さい。
・したがって、私たちが大切な事柄について語ることが
できるのは、話すことではなく行動するときだけだ。
人は互いに物事を見せ合うことができる。物事をともに
感じ、互いの技術を学び合い、互いの技能を楽しむこと
ができる。
だが互いに、それらを細部まで言葉で表現することは
できない。
・<私>は、「私は自転車に乗れる」と言うかもしれない。
だが<私>には乗れない。乗れるのは<自分>だ。
老荘哲学の基礎を築いた中国の学者、老子が、死を迎える
ために山中へと馬を進める前に記したように、「知る者は
言わず、言う者は知らず」なのだ。
・1958年12月、イングランドのロイヤル・バーミンガム
病院で、52歳の男性が角膜の移植手術を受けた。
自分の角膜は、生後わずか10か月のときに目の感染症に
やられ、それ以来、全盲だった。
手術は大成功という評価を受け、イングランド中で大々的
に報道された。
「ディリー・テレグラフ」紙は、その男性の視覚が手術後
わずか二、三時間で機能を回復した様子について、連載記事
を組んだ。
・そうした新聞報道の読者の中に、心理学者リチャード・
グレゴリーがいた。
彼は認識にまつわる心理学に興味を持っていた。
そして、同僚のジーン・ウォーレスとともに、その患者に
世界はどう見えるかを研究し始めた。
二人は学術文献の中では、患者をS・Bと呼んでいる。
・手術前のS・Bは活動的で満ち足りており、普通、目の
不自由な人がするとは思わないような活動を、数多く習得
していた。
(目の見える人に肩を支えられながら)自転車に乗ること
も、様々な道具を使いこなすこともでき、白い杖なしで
歩いた。
手探りで歩き回り、義兄の車を洗いながら、その形を想像
するのを楽しんだ。
・手術後、二、三日で視力を回復すると、S・Bは、動物、
自動車、手紙、時計の針など、かつては感触でしか知ら
なかったものをいくつも、難なく認識することができた。
すぐに絵を描くコツを覚えたが、ときどき奇妙な間違え
を犯した。
・S・Bが心から驚いたものはあまりなかったが、例外の
一つが月だった。
彼は空に浮かぶ三日月を見て、あれは何かと尋ねた。
そしてその答えに当惑した。
・S・Bは物を見るとき、それを触ったときの記憶に頼っ
ていた。
月は触ることができないから、形は想像のしようもない。
・初めのうちS・Bは、触感を通して知っているものしか
見えなかった。
・S・Bの話は悲劇的な結末を迎える。
手術のわずか一年後、彼はすっかりふさぎ込んで死んだ。
世界を見て、幻滅させられたのだ。
S・Bは、夜、明かりを消してじっとしていることが多
かった。
S・Bの話は、前もってシミュレーションしたことのない
ものを見るのが、いかに難しいかを物語っている。
見れば信じられる、というのは真実ではない。
信じるから見えるのだ。