Re: 意識とは何か?


[ フォローアップ ] [ フォローアップを投稿 ] [ 日本GAP横浜支部 BBS ] [ FAQ ]

投稿者 ぱんどら 日時 1998 年 3 月 10 日 23:29:35:

回答先: Re: 意識とは何か? 投稿者 ikawa 日時 1998 年 3 月 09 日 09:46:16:


> 「論理学」というのが、どのようなものなのか知らないので何ともいえないのですが、
> どちらもこの世界の不思議を解明するための人間が発明した道具であることは確かでしょう。
> 科学も論理学もいくつかの側面があります。
> でも、どちらも人間の視点からこの世界を捉えて、創られたと思います。
> この世界は、まさに結果の世界です。
> 原因の世界である精神の世界を知るためには、新しい能力を発揮しなければならないと思うのです。
> この新しい能力は、未知能力(超能力)といえるものです。
> ユリゲラーに始まった超能力ですが、存在は知られましたが、まただれでも利用可能であるといわれてますが、
> その方法が分からないというのが現状のようです。
> 昔、電気や磁気が発明されたとき、そのようなものが何に利用できるのかは、当時のほとんどの人は分かりませんでした。
> でも、今の時代においては、だれでもがその利用の仕方を知っていますし、
> 使って生活しています。なくてはならない存在となりました。
> 超能力も電気や磁気が発見された当時と同じ段階にあるのではないでしょうか?

> ikawa。

私が論理学を信奉するようになったのはここ数年のことです。
なぜ論理学か、といえば「何が本当のことか。」を決めるのは何だろうかと考えた
ことにあったかもしれません。
たとえば「エヴェレスト山がある。」という言明について、これを嘘だと思うこと
はまず、ないでしょう。おなじく「アメリカやアフリカがある。」というのも同じ
く自明なことです。ところで「一億年前に恐竜がいた。」というのはどうでしょう
か。これは化石が残っています。つまり「本当に存在するものとはなにか。」とは
なんらかの証拠が前提となっているようです。
以上は事実の事柄について述べたわけですが、「自然数がある。」とか「三角形が
ある。」というときこれは何を意味しているのかというのが思索の始まりでした。
前者は直接にほとんどは間接ですが私たちの五感を通して「ほんとう」といえると
ころのものです。ところで後者については全く思索の中だけで「ほんとうかどうか
」を決めています。両者は違ったものなのでしょうか?
私は基本的に同じもので統一したいと思いました。
そして普通我々が考えている「Aがある。」はほんとうかどうかを決めるポイント
がどこにあるかといえば「Aがある。」の正確な言い方は「〜にAがある。」なの
ではないかと考えました。
これは数学の中で有理数と無理数につて考えるのがわかりやすいかもしれません。
有理数とは数字というものが123・・といった自然数とその比率1/2、1/3
・・・によって成り立っている、といったものです。
ここでたとえば、其れを2かい掛け合わせてちょうど2になるような数はあるのか
と考えたとき有理数の領域でこれを突き詰めると矛盾が出てきてしまうということ
です。矛盾、簡単に言ってしまえば「Aがある。」と「Aはない。」が同時に成立
してしまうということです。
「机の上に花瓶があるとも、ないともいえる。」という言明にどんな意味があるで
しょうか?そんなことは見てみればどちらかが言えるはずです。
話しを戻しますが、2回掛け合わせて2になるような数は無理数という領域にある
、というのが正確な言い方かと思います。
もっと簡単に言ってみると「7がある。」というのはほんとうでしょうか?
嘘でしょうか?答えはこの問題には意味がない、というものです。
「1から10の間に7がある。」といってはじめて其れはほんとうだ、と言えるの
だと思います。「10から20のあいだに7は存在しません。」
こうした考え方からすれば「ムウやアトランティスがあった。」というのは、それ
は事実の世界について述べた言明かと思いますが証拠となるものは恐竜の化石より
一般的ではなく、トロヤの遺跡よりも説得力が乏しいというのが現状かと思います
。かといって別に否定するわけではありません。実際太古の昔、数メートルもある
ようなティラノザウルスが生息していたなどと言うことは数世紀前まではとても信
じられなかったことでしょう。まずは実際の証拠が出てくるまではなんともいえま
せん。
さてここでアカシックレコードはどうでしょうか?其れは事実の存在と言えるので
しょうか?もし事実の存在者であれば「いつ、どこに」が適応されると思います。
何か粘土板に書かれたメソポタミア古文書のようなものでしょうか?
どうもそうではなさそうです。となると其れを知覚するためにはどうしたらよいの
しょう。ケイシーは超能力の持ち主ですから、視覚障害者が映画を見ることができ
ないのと同じく、彼に見えるものが私たちには見えないものなのでしょう。
同じく、アダムスキーは金星や火星の記述について優雅な都市や、工業地帯を記述
していますので波動の違う我々には、それらは永遠に知覚できないのかもしれませ
ん。それらはいまのところ私たちにとってはお伽話と同質のものです。
我々とそれらを繋ぐもの、それはケイシーが病気の人を治癒し、役に立つアドバイ
スを伝えアダムスキーがその愛の哲学を発表したというそのことにあるのかもしれ
ません。





フォローアップ:



フォローアップを投稿

氏名:
E メール:

件名:

コメント:

リンクの URL (任意):
リンクの題名:
画像の URL (任意):


[ フォローアップ ] [ フォローアップを投稿 ] [ 日本GAP横浜支部 BBS ] [ FAQ ]