投稿者 ぱんどら 日時 1998 年 4 月 08 日 19:39:47:
回答先: Re: 自由意志 投稿者 ikawa 日時 1998 年 4 月 07 日 19:18:10:
>理想主義者と言われてしまうかもしれませんが、”苦痛”をどう捉えるかが重要か>と思います。
>それを”無いほうが良いもの”と捉えるか、苦痛が自身にとって”進歩するための>良い機会”となると捉えるかです。
>アダムスキー氏は”良い学習”であると捉えていたと思います。
>私は、無知が好ましくないことだとは思いません。
>何かについて自分が無知であると分かったとき、無知を克服するための一歩が>始まると思うのです。
>そう前向きに考えたいです。
ikawaさんの心に触れることは、とても爽やかな感じがします。
一点の曇りもなく信念を持っていらっしゃると感じられます。
恥ずかしいけれどまだ自分は迷いの中です。
前々回、ちょっと意地悪なレスをしてしまいました。Junichiさんもごめんなさい。
しかし、「信ずる」ということを命題の内容として捉えると別に間違っているとは
思いません。論理的次元での「信ずる」は、真偽の最終決定にはなっていません。
今日の論理学では様相論理といわれる領域が公認されている最新の論理学です。
可能世界の意味論は自分も今勉強中です。
この式に従うと信念も真となりそうですね。
でも自分は別な論理構造を考えています。(これが迷いの元でしょうか?)
ちなみにレスした数はフェルマー数というものです。N=4までは素数ですが
5以上は素数ではないそうです。N=5における公約数はオイラーが
発見したそうですが、コンピュータもない時代にすごいですね。
6700417×641が回答だそうです。(知ってらっしゃったかもしれませんね。
ああ、わたしはピエロみたいですね。)
>> 無知なるがゆえの選択は自由意志の結果として本人の責任になるのでしょうか?
>そうかもしれませんが、私はポジティブに考えたいです。
>失敗は成功の元というではないですか。
>信念の力、希望の力、絶対に諦めない力を忘れないでください。
>内部にある意識(神)を心は必ず感知できるはずです。
>それに従えば、正しい答え(方法)が必ず見つかります。
>そんな感じがします。
>ikawa。
自由には必ず責任という概念が付きまとっているようです。
もし「わたし」がひとりしかいないとしたら責任は発生するのでしょうか?
責任とは「誰か」に対する責任といってよいでしょうか?
またどんな行動が責任を発生させるのでしょう。
希望を無くし、諦めてしまうということは神から責任を問われるのでしょうか?