投稿者 希望 日時 1998 年 7 月 15 日 22:00:52:
回答先: Re: 自由意志について 投稿者 Junichi 日時 1998 年 7 月 15 日 20:47:25:
私は、泥玉の譬えも好きです。
泥玉には、水辺をめざす傾向があると
アダムスキー氏もおっしゃっていました。
最近のユーコン誌の講演録にそう載って
いました。
全集の各所の泥玉の譬えでは、
水辺をめざす傾向には触れられて
いたでしょうか?
ユーコン誌を見たとき
正直、ほっとしたのを覚えています。
たとえ、泥にまみれて、
自らが水であるという、
本体を見失っていても、
泥玉に、おおいなる海をめざす
傾向があるならば、
肉体人間としての感覚しか持たない
私でも、みずから「希望」と名乗っても
許されるでしょう。
そして、その傾向は、
泥玉の自由意志によって
チョイスされ、
父の御許に立ち戻るのか、はたまた
さすらって蒸発してしまい、
いっさいの個別化された記憶を
失い絶滅してしまうのかが
決まります。
重ねて申し上げますが、
私は、自由意志でもって
父の家に戻りたいのです。
父の家の灯火が、
遠くに見えたならば、
放蕩息子はきっと歩みを速めるでしょう。
きざしが欲しいのです。
−−−希望−−−