投稿者 koniyama 日時 1999 年 8 月 27 日 16:26:30:
回答先: Re: 浄化ということ 投稿者 hisada 日時 1999 年 8 月 27 日 01:38:41:
これは、最近思ったことなのですが、
この世界の中で、わたしたちが宇宙的な方向で
脱却するのが非常に大変な作業であるなら、
想念観察など、つまり血のにじむような努力をしなくては
脱却できないものだとしたら、
人類全体が、宇宙時代に突入できる希望は
まずないだろうということです。
それは自分のことをふりかえると良く分かります。
もし大変な修行しなければだめだとすれば、
来世紀に宇宙人との交流が始まると
予測されているのはいったいどういうことなのか。
もしそうなるとしたら、
アダムスキーを知ったことがなんの意味があったのか、
自分の苦しみはいったいなんの価値があったのか...
もう一度要求水準を見直して、
あるポイントさへつかめたら、
それですでに宇宙人なんだという
そこを把握しておく必要があるのではと思います。
その観点からすると、ここに徘徊するするような方々は
ほとんど問題ないのではないでしょうか?
アダムスキーのテレパシーや生命の科学を
完全にマスターしなくては
宇宙人にはなれないという強迫観念をすてれば
かなり生きやすくなるのではないだろうか。
これは自分なりの結論ですが。
アダムスキーの情報はある意味で
非常に専門的な人たちをもカバーしているようです。
つまりその道の指導者的な人に対してのメッセージでもあるわけです。
それを我々がまともに受けて消化しようとしたら、
とてもこなしきれないのではないでしょうか。
私なども初期のころは、
この道の諸先輩方の取り組みかたを見て、
学者や研究者、活動家、
もしくは苦行僧みたいなアプローチをしなければ
宇宙に見捨てられてしまうと思ってしまったので、
かなり難儀しました。
また、ハードルを高く設定してしまえば、
だれも救われないと思います。
我々が四苦八苦しているのをみれば、
ほとんどの人が逃げていくでしょう。
これはSPにとっても本意ではないのではないか。
アダムスキー派を自称する?われわれが
それを手本でやってしまったなら...
こう思うのも、これまでは周囲の風雪に耐え
仲間うちで真理の灯火を守り抜こうという
クムラン教団的にしか生きるすべがなかった時代から、
これからはその重圧が軽くなり、
だれにでもその知識がひらかれる時代になりつつあることを
予感するからなのかもしれません。
これもまた一つの印象であるので、
変わるかもしれませんが。
私は自分が年とって死ぬ間際に、
ああ自分は若いころいろいろ試行錯誤し
悩んだりもしてきたけれども
ここに来てみればなんてことはない、
自分が学ばなければならないことは
こんなことにすぎなかった。
だから、もっと適当にやっておいてもよかったなあ
それだけが悔いがのこる...
では、お先にもっといいところへいかせてもらいます...
はい、さようなら....
などと勝手に追想している自分の姿を思い浮かべるのです。