投稿者 プラム 日時 1999 年 12 月 24 日 12:18:13:
回答先: こーへれと? 投稿者 ナマズ 日時 1999 年 12 月 23 日 15:25:26:
ナマズ様、ご無沙汰しております。
プラムです。
お元気そうでとても嬉しいです。
クリスマス・イブはいかがお過ごしでしょうか?
レスをありがとうございました。
ナマズ様が求めている答えとは
ちょっと違うレスになると思いますが、
ご容赦下さいね。
ナマズ様とプラムの共通点は
日常生活が大事だと考えていることだと思います。
(勘違いでしたらごめんなさい。)
自分の足下が大事。
現実の生活を逃避しないで日々処理して行くことに
重きを置いている。
日常生活をばかにして、
自分はエリートだ、真理を追究しているんだという意識で、
けれど実際には人間関係さえ何の処理もできないようでは
困ってしまいますよね。
身の回りのことをある程度きちんとしないで、
「宇宙哲学」を実践しようとすることは
砂上の楼閣のようなものだと考えております。
そしてこの日常生活をきちんとすることが
実は一番難しいのではないかと思います。
真理を追究しているといって本を読んでいることの方が
はるかにやさしい。
けれど日常の様々なトラブル、人間関係のトラブル、
そんなものをひとつひとつきちんと処理していく方が
自分にとっての成長になるのではと思います。
「隣人を愛することより人類を愛することのほうがやさしい」
という格言がありますね。
隣人を、まずは普通の人を尊敬できるようになるということが
重要であると思います。
普通の人を尊敬できるようになるということは
日常生活をきちんとするのがいかに大変かということが
身に染みて分からないと難しいと思います。
私は大層な人間ではありませんが
その大層でない、普通の人である自分に
「無限の意味」を発見していくことを
目標にしています。
話が抽象的でごめんなさい。
>子育てと一緒で、いくら子供に「〜しなさい」「〜しなければ」
などといっても結局は親の背中を見て育つもの。そのためにも
自分が成長しないといけない。
そうですね。よく分かります。
子育てには「指導」と「支配」の型があるように
思います。
例えば小さな子が靴のひもをうまく結べないでいるとします。
「靴のひもはね、こうやって結ぶのよ。」と手本を見せて
教えてあげられるのが「指導者」的な親。
「何で結べないのよ。もう誰ちゃんは結べるわよ!」などと
叱るだけなのが「支配者」的な親。
例えは何でもよくて、
子供がテストの点数が悪くて落ち込んで帰ってくるとします。
「この点数は何よ。もっと勉強しなさい。」と怒るだけなのが
「支配者」的な親。
点が悪かったのはどうしてなのだろう。ああそうか、
「字を丁寧に書き過ぎちゃって時間がなくなっちゃったのね。
字うまくなったわね。」
と、下の方が白紙になっている答案を見て
その理由を判断できるのが「指導者」的な親。
指導するためにはその場だけの指導ではなく、
時間をかけて前の状況を認識していなければ
難しいと思います。
いつも気にかけてあげること。
心がふれあっていること。
簡単なようでもすごくムズカシイ。
お互いに頑張りましょうね。
ナマズ様、ありがとう。
プラム