投稿者 さすらいの鯰 日時 2000 年 8 月 26 日 07:33:08:
回答先: Re: 対抗的想念とその質問。 投稿者 ラピス 日時 2000 年 8 月 26 日 02:03:44:
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|> 「何かを否定する」というのは、ある意味その対象物に「形」を
|> 与えることになるのではないか、と感じます。
|> 「抵抗には抵抗が生じる」とは、良く聞く言葉ですが、同じように
||> 実際にその対象たる存在を、自分が認識していなければ、
|> 否定も肯定も「必要ない」のではないでしょうか。
|> 大変曖昧な表現で申し訳ないのですが…。
|> ただ、「存在するかもしれない状態」に、敢えて自分を置く必要は
|> ないのだ、とおぼろげに認識した頃から、そうした行為も意図的に
|> 行うようになったのは事実です。
|> ただ、その場合における、「ニュートラルな状態」というのは
|> 「存在しないかもしれない状態」のようです。
|> これは初期設定と言ってもいいかもしれません。
そうだ、そうなんですよ!!このラピスさんの見方考え方こそ
最も「自然体」である、と感じ入りました。
あえて抵抗を作る必要はない!!周波数の変換という概念に
ついても今回とても良く理解できました。有り難うございます。
とっても感動したんですが、チョット話を戻して「いないかも
しれない状態」「ニュートラルな状態」「プラスマイナス0」の
状態を作っているとき、アダムスキーが本に書いていたような
”ブードゥ教の呪い”の如きものがご自身に降りかかっているのを
知ったらどうされますか?次元は下がってしまいますがラピスさん
にお伺いしたいと思います。
私見では、ある人に向けての想念(良いにしろ悪いにしろ)が
ある場合、自身がその想念の内容についてプラスマイナス0の
状態だと、影響をもろに受けてしまうという印象があるのですが。