投稿者 yoshimi 日時 2001 年 6 月 10 日 10:15:14:
回答先: 交換日記 to yoshimiさん 投稿者 らむじ 日時 2001 年 4 月 12 日 19:18:22:
|> 金沢大助教授から今度東大助教授になった
|> 福島 智さんは、9才のとき全盲となり
|> 18才で聴覚障害者になりました。
|> 彼は自分自身の障害について、
|> 「私は、全盲であることや、聴覚障害があること
|> は自分が生きていく上で、自分に与えられた条件である。」
|> と言っていました。つまりそのことをなげく
|> のではなく、与えられた条件を前提として
|> 前向きに人生を送りたいということです。
|> そして東大で彼は次の三つのことを研究したい
|> そうです。
|> *障害者と大学との間のバリア−について
|> *学問の専門家とのバリア−について
|> *バリアフリ−とのバリア−について
|> 最後の「バリアフリ−とのバリア−について」
|> というのは街中においても家庭においても
|> バリアフリ−の設計は弱者のため、あるいは
|> 障害者のために作ってやっているんだという
|> 健常者のごう慢な考えを否定したものです。
私は、夫の死後、実の母親にも心を閉ざしました。
こちらに来て、すっかり元気になりました
にもかかわらず、母親には心を開けませんでした。
夫の事故が実家と関係していると勝手に思い込んでいたのです。
そして、「あなたたちの関係で、夫は事故にあった」と恨むことを甘えさせてもらっていました。
もう大丈夫なのにいつまでも、そうする事でストレスを発散させていたのかもしれません。
昨日、母親に今迄の事、何も言わずに受け入れてくれた事を謝りましたその時
母が福島助教授のお母さまの話しをしてくれました。
(天理教の信者である母は、偶然にもその宗教の障害者の部会で福島助教授のお母さまと知り合いでした)
母親の愛がどれだけ深いものかを途中失明した福島助教授に無限の愛で支え続けたお母さまの話しを例に伝えてくれました。
ありがたいですね、無償の愛に支えられてるという事を意識しました。
私もがんばらなきゃ〜って感じました(^^)
そしてらむじさんに伝えたいと感じました
(私的な話ですみません)