投稿者 /Ka++ 日時 2004 年 10 月 06 日 08:52:43:
回答先: Re: 伝達方法 投稿者 某 日時 2004 年 9 月 29 日 01:32:58:
|> どうも真意を汲んでいなかったようで申し訳ありません。的外れでしたか。
レスが遅れました。
前回のレスははじめの質問に対して頓珍漢なこと書いてしまいました。
真意は質問そのものにあります。
というのも↓
|> 考える事は大事です。美麗字句をまるごと引用することは誰にでも出来ます。教会や寺院で真理や愛を説教しながらも他宗派をこきおろすことも有り勝ちです。私も同じ事にしばしば陥ります。気をつけているつもりなのですけれども。ですので自分自身で考える事が大事です。自分の経験から何かを引き出せれば、そしてそれをシェアできれば良いのですが難しいことも多いのでしょう。
私はまず、二元論ができることが必要と思います。
自ら信じていることに対して疑問を持てるか?
疑問を持つことで、その長所・短所が見えてきます。
疑問を放つことは自分の状態(想念といっても良いでしょう)に注意深くなることとイコールであり、
妥当な質問ほど、強いフィードバックがかかっていくと考えます。
このあたり、うまく記述できません。
本質を突いた質問は、答えそのものでもあるというとらえ方です。
何より、一番最初に感じたこと、
何の違和感もなく受け入れた、はじめの印象を大事にするようになっていきます。
何も疑問に思わないのでは、分析さえできないのではないでしょうか。
私は時々思考機械のように振る舞うときがあります。そうしろとは言いませんが。
今まで本やHPでいろいろ読んできましたが、
宇宙人やUFO、精神世界とかヒーリング(?)、アダムスキー好きの方々は、
「何も疑問に思わない」傾向が顕著です。
その上で特定の表現する、例えば「地球は太陽系の幼稚園である」なんて聞くと、ぞっとするわけです。
おそらくは、一番最初にあった興味とは全く正反対の方向、
本質にかすりもしない表現をしていることが私には解せません。
なぜ、そうなるのかもです。
また、どうやってシェア(共有)するのかも見当がつきません。
白々しくなく、派手でもない。どちらかというと泥臭い話に興味を持つとは思いません。
「自分で考える」の「自分」がどこに居るのか。
そこに疑問を持ってくれないと話にならないような気もします。
|> 直観の源泉はなんなのでしょう?
これが本質を突く疑問ですね。
源泉は私がここに在ることです。今はほかに表現が見つかりません。
「ΑΩ」(小林泰三著)という小説にこんな文章があります。
「おまえはどこにいる?」
(ここだ。君と同じところだ)
ジャンルはホラー、SF、怪獣もの、ヒーローもの、純愛もの。面白いのでおすすめです。
|> 私は未だにアダムスキの言葉を100%真実であるとはみなしていません。なんらかの誤謬があるかもしれません。しかし私の直観はアダムスキの言葉の説得力を感じています。アダムスキの言葉は平易でありながらも2重3重の重層的な意味合いを含んでいることが往々にしてあると考えています。一見互いに矛盾している言葉たちは、やがて互いを補完するするように結びついていきます。金星文字の解読にあたってはそのようなことが発生しているのではないかと推察されますが特に解説を求めません。
アダムスキーの記述は、検討価値がある箇所が2カ所ありました。その他はデータの羅列ですね。
他に読むべき本が沢山あるので、大して真実・虚偽について考えたことはありません。
物事の真偽については以下のようにしたら良いと思います。
質問例:幽霊の存在を信じますか?
調査:統計をとる。(対象区域:ここでは日本国内とする)
統計結果:信じる75% 信じない25%
妥当な表現:日本では75%の人が幽霊を信じている。
確率表現:日本では75%幽霊が存在する。
もはや何が何だかわからない表現になりますが、それは妥当な質問ではないからです。
同じ事がUFOや宇宙人、神についても言えます。
金星文字の解読については、その通りです。
|> ここで主張したいのは、最初、それらの言葉は疑わしいのですが誰にも邪魔されずに自身が経験したり、あるいは、繰り返し熟考することによって、懐疑的態度から実証的態度に替わりつつ納得するということでしょうか。
同感です。
懐疑=疑いをもつ、ですが、疑うこと=悪いことという風潮もありますね。
懐疑主義=すべての物事に対して、常に疑問を持たずにはいられない考え方、と辞典にあります。
良い悪い、善悪なんてのは関係が無いんですね。
物事の本質を射抜く、妥当な質問を発することです。
「誰にも邪魔されずに」の誰って誰なのか?
他人じゃなくて、自分であることがままあります。
それも後天的な一部の自分なんですね。
何に対して質問を放つのかも重要です。
|> アダムスキの方法論は実証によってのみ真実が明かになるようです。各人によって実証のあり方は当然のことながら異なってきます。人生がいろいろあるように。
「アダムスキー哲学は実証主義だ」なんてのも聞いたことがあるので、いささか退いていますが。
何に対する、どのような実証ですか?が妥当な疑問形式と思います。
|> こちらの掲示板(電子会議室)は、ゆっくりと各自の経験を交換できるシステムであることを狙っていらっしゃるようですので、良いシステムではないかと思います。
そうですね。
短気は損気なれど、100回転生した後には質問自体も忘れていることでしょう。