投稿者 スターダスト 日時 2005 年 7 月 15 日 10:53:12:
回答先: 老子の哲学とアダムスキー哲学について 投稿者 kokoa 日時 2005 年 7 月 15 日 01:44:11:
…つたない回答を申し上げております。それに対するあなたの御意見も頂ければと存じます。キャッチボールにしたいからです。
老子については謎が多いというのが通説です。歴史の荒波の中で当初の教えが散逸していたり変形していたりするからです。
たとえば、「老子」というのは個人名ではなく、ある種の哲学の一派であるという説があります。あるいは、「法王」ないし「大統領」のように特定哲学集団の代表者の名前であったかもしれません。私はこの説の支持者です。現存している老子の教えは神秘主義や日常生活における生活の知恵まで含まれていていまして諸事雑多、統一感が無いことが特徴なのですが、これは老子が一個人でなかったことを反映しているのかもしれません。
道教の中に老子の教えが導入されたようですがこれに関しても既に形骸化している感があります。
老子の教えの真髄として、やはり「道(タオ)」と「無為(タオに従った生き方)」があるでしょう。アダムスキー哲学における「意識」を「道」と同定するならば「無為」とは「意識に従った生活」ということになります。
御参考:
●About Lao-tzu
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/dictionary/laozi-1-U.htm
なお、老子の教えとされるものの中に宇宙の始まりについての記述があります。当時の文明の水準を越えた内容であったかもしれないと個人的には思っております。
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