投稿者 /Ka++ 日時 2006 年 4 月 19 日 12:42:17:
回答先: Re: 『伝えるべき言葉が見つかりません。』 ??? 投稿者 海風の舞 日時 2006 年 4 月 15 日 10:21:04:
形のないものを伝えるにはどうすれば良いのか?
これはコミュニケーション、表現の問題だと思う。
アダムスキー哲学の要素抽出を試みる。
1。前提
たくさんのことを私たちは感じている。
2。感じるもの
それを印象と呼ぶことにする。
「感じる」と「印象を受ける」は同意である。
3。受信
私たちは印象を受ける。
また、受けるための器官がある。
日々様々なことを感じている。
4。送信
私たちは印象を放つ。
また、そのための器官がある。
日々様々なことを表現している。
5。観察
私たちは印象を観察する。
そのための器官がある。
6。影響
印象は受信され、観察される。
そして、行動に移される。
そこではじめて自分に対して、あるいは他者に対して、
どのような影響を及ぼすかを知ることができる。
7。経路
印象は何かしらの「もの」を通して伝わる。
8。ループバック
自ら発した印象を受けることができる。
9。分類と判断
印象を受け、観察したあと、行動経験から、
それが"良い"もしくは"悪い"印象であると分類できる。
この分類によっては、これからの行動を変えることができる。
10。内容
印象の内容は受けるまで、わからない。
受けて観察する前に、内容の善し悪しを測ろう/決めようとすることは、
印象に対する差別になると思われる。
11。印象の観察
印象を受けたことを意識し、その内容を観察する。
12。フィードバック
観察により、分類/判断し、行動にフィードバックできる。
13。考える
観察結果をループバックすることができる。
14。4つの感覚器官
見る、聴く、嗅ぐ、味わう。
これらの器官はそれぞれの対象に接触反応する。
15。触覚
接触反応する感覚。
4つの感覚器官はここから派生している(?)
16。印象に関する器官
印象を受け、放ち、観察するための器官がある。
触覚が相当する(?)
17。感覚器官の調和
おそらく触覚を通して、4つの感覚器官が調和動作することと思われる。
それぞれの感覚器官が独立して動作するのではなく、
触覚を仲介させることによって、プロトコルを共通化し、
さらに受けた印象と整合させようというのだろう。
調和動作する事で印象をより深く味わえることになる。
18。何のために想念観察をするのか?
ここでは印象と想念を同義とする。
想念観察が重要だ。
多くの人がそう言っているが、何のためにそう言うのかが未だに理解できない。
個人個人が行い、その結果どうなった?が話されないからだ。
これについては日本語の誤読もあると思われる。
「非宇宙的な印象を受けないように」ではなく、
「非宇宙的な印象から影響を受けないように」である。
前者は、受信前に印象にレッテルを貼ることに相当する。
後者は、印象を受け観察し、内容を判断して行動しようということだ。
19。想念観察による精神の変化
印象内容を観察し、行動にフィードバックできること。
選択すること。
おそらくそれがアダムスキー氏の言いたかったことではないかと思う。
想念観察は別の面もある。
大量の想念が自分の中を流れていることがわかってくると、
あまり極端で些細な内容には動じなくなってくる。
ノイズと本流の違いがはっきりしてくる。
時間的にも空間的にも影響するスケールが全く違っている。
子供を抱いた親のような優しい感じ、惑星規模の発想から、
他者に対する殺意まで多岐に渡る。
極端なことを書いているが、事実そう感じることがあるんだからしょうがない。
それでノイズに惑わされないように選択するだけである。
観察の方法は特に考えてなかった。
そもそも何でもない日常で、延々と「観察しよう」というのはムリがある。
観察しようと、そのことばかり考えている自分って滑稽なのだ。
だから、極度に感情が変化した時にしか注意しなかった。
なぜなら、感情の度合いが大きいため、客観視しやすいから。
感情にまかせて行動した後でもいいので、
その時何を感じていたかを考える。感覚の再現をする。
度合いが大きいときにフォーカスを合わせられるようになると、
日々の心の動きにも意識が向くようになっていく。
20。宇宙の意識とは
仰々しく、これがどうとか言うつもりはない。
技術屋の発想でいくと、以下を宇宙の意識と表現しても良いのではと思う。
案1。印象のフォーマット構造。
印象がパケットでやってくるとして、
そのフォーマットを規定しているものが宇宙の意識というのはどうだろう。
案2。印象を形成する要素。
宇宙の意識をこのように並べると嬉しさを表現でき、
このように並べると悲しさになる。なんてのはどうだろう。
まあ、何にしても、アダムスキーなんぞにとらわれる必要はない。
ただ、アダムスキー氏からの影響を受けようというのであれば、
上記の18番くらいまではざっと考えていることと思う。
妥当な思考を積み重ねていけば、先人と同じような表現になってくる。
議論の価値が無いほど、わかりきったことだろう。
いつまでもぬるま湯に浸かってるわけにもいかない。
|> 『それと議論を戦わせたくはないのですが、・・』
それ以前に、議論が成立する話ができてない。
この指摘価値はあるでしょうか?
|> 『言葉をにごす』のではなく どのように思われて書かれたのかを
|> 伝えていただきたかったと思います。
会話が論理的に成立していない。そう指摘すると、キレる人もいます。
絵を見てどう思ったか?とか、音楽聴いて何を感じたか?とか、
それと同じ印象批評をアダムスキーの本についてやる価値も無いと考えます。
では、どうするか?
他者とコミュニケーションをとりながら、考えた結果をフィードバックしていくのが妥当と思います。
つまり、本を読んで、その解釈を自分の中だけに止めずに、他者を通して還元する。
これには行動が伴います。これが重要。
もちろん、話の内容を論理的に組み立てる必要があります。
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