意識の声 No.20 より

1992年 3月号

 

 先日、興味深い報告がありました。横浜在住の会員・K氏がミラクルワード(反復思念法)とイメージ法を実践して横浜市内にマンションを買うことが出来たということです。詳細は不明ですが、数千万円もするマンションが買えたというのは素晴らしい事でして、ここにも反復思念とイメージ法の絶大な効果が示されています。この実践法についてはユーコン誌次号に『奇跡を起こす反復思念とイメージ法』と題する私の記事がでますからご期待ください。これを熱心に応用すれば何でも実現は可能です。

 

 また東京月例会では毎回私の指導でCosmic Meditation(大宇宙瞑想)を実習していますが、これもかなりの成果をあげています。体の調子が良くなったとか、気分爽快でテレパシックな感覚が増大したというような報告があります。この実習要領は直接月例会に出席されないと把握できないかもしれませんが、ビデオで知ることもできます。遠隔地の方はユーコン誌巻末ページを参照してビデオをお申し込みください。なおこの瞑想法は中国の気功とは全く無関係です。あくまでも私が編み出して、昔からやっていた方法です。GAPに対していろいろと批判があるようですが、そんなものはこの大宇宙瞑想によって吹き飛ばしてしまいたいですね。この瞑想法は大宇宙の創造パワーと一体化するための方法ですから、あらゆる悩み、不安、恐怖その他の分裂感情を解消させて、心底から宇宙的なフィーリングを起こさせます。実際のところ、宇宙的な気宇壮大な状態になるには、これ以外に方法はありません。唯一至高の方法です。ただし宗教とは一切関係がありません。もし東京月例会を宗教的だと言う人があれば、それはあまりにも盲目的です。

 

 しかし他人や他の団体の悪口を言いたい人は、それを言うことによって自分の『幸せ』な気分を得ようとしているのですから、これは相手の立場に立って考えることにし、思いきり気のすむまで悪口を言いなさいと微笑しながら呟いて、言わせてあげることにすればよいでしょう。これを『憐れみの法則』といいますが、この法則に従うことによって相手を生かし、自分も生かされることになります。『フーテンの寅さん』こと車寅次郎氏は都内葛飾区の葛飾商業を中退し、あとは香具師の人生をすごしましたが、頭は悪くても他人の立場に立って考える力は抜群であると、『男はつらいよ』シリーズの山田洋治監督が言っています。一流大学を出ても他人のことを考える力がなく、他人のために何一つ出来ない人間よりも、寅さんのような人によって社会は温かくなることを思えば、人間の世界は全く精神のあり方で決まる世界であると言えます。

 

 万人に共通する絶対的な想念――それは『幸せになりたい』という願望です。幼児から老人に至るまで、あらゆる人が『幸せ』を掴もうとあくせくしているのであって、これだけは否定できません。そこで、他人の『幸せ』願望を敏感に察知して、その実現の方向に手助けする人は、自分も助けられることになるのですが、これはマーフィー博士の言う『祈り』の法則にあてはまるものでしょう。他人のために祈れば自分が助けられるのです。ただしここで『祈り』というのは、宗教とは関係なく、それは『反復思念』を意味します。

 

 祈りといえば、アメリカの有名な世界的週刊誌『ニューズウィーク』二月六日号に、『沈黙の喜び――祈る』と題する素晴らしい記事で出ています。それによりますと、米人社会学者のアンドルー・グリーリーが最近行った調査によれば、全アメリカ人の七八パーセントが少なくとも週一度は祈っており、毎日祈る人も五〇パーセントを超すということで、全体の一三パーセントを占める無神論者や不可知論者でさえ、万が一にも神がいた場合にそなえ、五人に一人は日々の祈りをかかさないということです。そして、「神に語りかける祈りとい行為は、悠久の大河のごとくアメリカ中を流れているらしい」と述べています。

 

 なんと素晴らしい国でしょう。アメリカ人を科学に毒された唯物論者で労働者を怠け者だと見る人たちの見解がいかに間違っているかを如実に示すものです。どだい日本人はアメリカ人を全く理解してはいないのです。黒人たちが祈りとともに黒人霊歌を歌い永劫の幸せを願う光景は、金儲けに狂奔する日本人の想像を絶するものです。名門スタンフォード大学では、二〇年前までは信仰など全く無視されていたのに、今では定例の祈りの集会に三〇〇人から五〇〇人の学生が出席するとも述べています。リゾート化した日本の大学とのあまりにも大きな相違!

 

 アメリカ人がどのような『神』を設定しているのかは分かりませんが、少なくとも人間の力と知性を超越したある絶対的な存在を求めて、それとの一体化を図ろうとする欲求は消滅する運命にある物質の追求よりもはるかに宇宙的です。「自覚していようといまいと、誰もが神を探し求めている」というジョージタウン大学のゴンザレス神父の言葉がその記事に紹介してあります。

 

 そうです。私たちがマインドと宇宙の意識の一体化を図ろうと努力するのも、畢竟(ひっきょう=仏教用語で究極。絶対。最終。の意味)、神を求める行為です。これを大いに実践して高貴な精神を身につけるように努力することは、それだけで創造主に接近して創造主と語ることになります。日本はキリスト教国ではないので神という概念の把握しにくい風土であると言えるでしょうが、少なくとも瞑想を私たちの日常の習慣にしたいものです。

 

 しかし神という言葉は宗教と誤解されやすいので、やはり『宇宙の意識』というほうが適切です。これでピンと来なければ『宇宙の創造パワー』と呼んでもよく、あるいは『創造波動』と言ってもよいでしょう。呼称は何であれ、この大宇宙が人間の知性を越えた絶対的なパワーと英知によって作られているということを、はっきりと自覚するかどうかで、その人のカルマが変わってくるのですから、これほど重要なことはありません。お互いに研鑽を積みたいものです。皆様、お元気でお過ごしください。