意識の声 No.22 より

1992年 5月号

 

 春の息吹もアッというまに沈静化し、いつのまにか陽気な五月になりました。実際、一ヶ月が過ぎるのはあまりにも早く、まさに How time flies!(光陰矢のごとし)です。これは私が絶えず期限付きの仕事をして時間という妖怪に追いかけられているからで、その中心をなす仕事はユーコン誌の作成発行にあります。「たった一人で編集しながらよくも毎回期限通りにやれるものだ」という感嘆の声がありますが、実は死に物狂いでやっているのです。といって、悲壮感はありません。あくまでも楽観的です。

 

 しかし、それほどに超多忙でありがならも三月から四月にかけて本を数冊読みました。それはアメリカのギャリソン検事の書いた『JFK』という滅法面白い書物、いま有名になりつつある斉藤澪奈子さんの『ヨーロピアン・ハイライフ』と『愛のポジティブ・シンキング』、シェークスピアの『ハムレット』と『ジュリアス・シーザー』その他です。『JFK』はケネディー大統領の死因に関してギャリソンが徹底的に調査した結果、オズワルドの単独犯行ではなく、背後に強大な組織があったことを暴露した内容です。これはケビン・コスナー主演の映画にもなっており、もっか都内で上映中でして、私も有楽町で見ましたが素晴らしい作品でしたね。あらゆる妨害に屈することなく、信念を貫いて堂々と巨悪に挑戦する検事に扮したコスナーの姿は迫真の演技でした。

 

 この『JFK』については酷評もあり、特に『ニューズウィーク』誌などはこきおろしています。つまりあくまでもオズワルド単独犯説の立場から批判しているのです。しかし実は私が一九七五年にカリフォルニア州ビスタで、当時健在だった故アリス・ウェルズ女史から話を聞いたときには、腰をぬかさんばかりに驚愕したものでした。なんとケネディーはアダムスキーと親交があり、ア氏の仲介によってスペースピープルとコンタクトしているのです。この事が要因となって抹殺される方向へ進展したわけです。さすがのギャリソン検事もここまでは知っていないでしょうし、米国民の誰も知らないでしょうね。そこでハムレットが友人のホレイショウに言った言葉を思い出します。「この天地には、おまえの考え方などでは思いもよらぬ物事が沢山あるんだ」

 

 まさにそのとおりです。人間の(地球人の)浅はかな推理などはとうてい寄せつけぬ驚異的な事象がどこに潜んでいるか、分かったものではありません。これからみますと精神的な浅薄な人ほど何もかも知っているような顔をし、貧しい知識をひけらかすようですから、知識というものに対する態度をみれば、どの程度の人間であるかが一目瞭然ということになります。知ったかぶりな顔をしないことだと自戒させられますね。

 

 知識といえば、斉藤澪奈子さんは凄いですね。この方は東京の上流階級に生まれ、高校卒後、ロンドン大学で物理学、イタリアのフィレンツェ大学で美術史を学び、ヨーロッパの本物の上流階級のマナーや生き方を身につけた人です。といえば、たんなる金持ちのお嬢さんの気ままな生活かと思いがちですが、そうではなくて、物凄い努力とポジティブ・シンキング(積極思考またはプラス思考)によって願望を実現させたという、いわばGAPが昔から提唱しているイメージ法を応用している方です。その思想的な面に関しては『ポジティブ・シンキング』と題する著書に詳しく述べてあります。結局、GAPが昔から推奨してきた方法は今や各方面で応用されているのです。最近も慶応大学から出ている雑誌の『三田評論』4月号にテレビ朝日のアナウンサーである篠田潤子さんが興味深い記事を書いています。それによりますと、ある時巨人の選手の桑田真澄投手と出演した際、本番の前に控え室で話し合ったとき、この桑田氏がなんと願望実現のプラス思考法を応用しているというのです。恐怖心を起こすのはマイナス思考で、感謝を忘れずに前進するべきだと言っていたそうです。この桑田という人は謹慎処分をくらったということで、あまりよいイメージを与えない人だったようですが、この篠田さんの記事で意外な感じがしましたね。人間というものは分からないものだと、あらためて自己の無知を恥じた次第でした。

 

 そこで、やはり知識というものの重要性を痛感するのです。特に他人に関する知識ですね。ところが、この世界では容易に他人を理解できず、勝手な想像によって他人の噂やデマに巻き込まれてしまいがちです。これはすべて四つの感覚器官のなせる業で、いわば、地球人は盲目の集団とも言えるでしょう。したがって他人を理解するには他人の中に飛び込む必要がありますね。

 

 この人間の愛憎を活写した作家でシェイクスピアの右に出る者はいないでしょう。私が作品を読む理由がそこにあります。もちろん地球人の愛憎の世界は宇宙的なものとは程遠いのですが、しかし現代人の感覚や心情は一五〇〇年代のそれと殆ど大差ないことを思えば、「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)という諺を生かすことになります。古いものはすべてダメだとは言えないのです。むしろシェ翁の作品内容を知ることによって今の自分の生き方を厳正に凝視することが出来ますね。

 

 さらに私は『源氏物語』を原典で読もうと思い、室町時代に書かれた写本の復刻本を入手しているのですが、時間がなくて容易に読破できませんけれども、なんとかして少しずつでも読み進もうと考えています。大型の重い本ですからカバンに入らぬので、各頁ごとに縮小コピーをとって、それをカバンに入れて持ち歩き、それを読むようにしています。普通の人には到底読めないような草書体で書いてあるものを電車内で広げるのは、さすがに気が引けますねぇ。でも電車内が私にとって読書には最良の場所です。

 

 『源氏物語』を読むのは平安時代の現実を知ろうというわけで他意はありません。これを読むことによって過去世を透視するかのように当時のビジョンが鮮明に浮かび上がるのを期待しているわけです。これは真実の透視につながるかもしれません。

 

 UFO研究家を自認する人の中には鼻持ちならぬエクセントリックな(風変わりな)人がいますので、そのためにUFO問題が偏見を持って見られているきらいがあります。そこで昔から私は「日本GAP会員はまず紳士淑女になろう」と呼びかけてマナーなどでうるさく言ったこともあります。その点、斉藤澪奈子さんの『ヨーロピアン・ハイライフ』が大いに参考になりましたね。この書物には重要な示唆が含まれています。日本人の上流志向がニセモノにすぎないことも分かりましたね。ですから優れた書物を読むことの大切さを痛感するのです。

 

 しかし外観だけで他人を軽率に批判することの誤りを如実に感ずることも多々あります。そこで四感によって外観にとらわれないような自律精神を働かせることにしますと、結局、万物と万人に宇宙の意識すなわち『絶対善』を見いだそうという欲求が起こってきます。しかしこれは死に物狂いで努力する必要がありますね。如何なる人を見ても、この人は『絶対善』なのだと必死になって思考し、完成されたイメージを描き続けることに最大の力を傾注する必要を感じます。その意味で私は地球の万物を金星の万物とだぶらせたイメージを描くようにしています。つまり「ここは金星なのだ」と思い、あらゆる物、あらゆる人を金星のように完成しつくしたものとみなして、そのようなイメージを描き続けるのです。

 

 個人のイメージなどで社会に変革が起こるはずはないと言う人があるかもしれませんが。これは誤っています。一個人の想念やビジョンは周囲に凄まじい影響を与えることがあるのです。ある航空会社の社長が交替したとたんに、その会社の飛行機の墜落事故が増加するという例が以前ありましたね。普通の家族でも、ある人のいる家庭では次々と異変が起こるという例もあります。これは特殊なカルマを持つ人の波動の影響と言えるかもしれませんが、これを阻止するには誰かのよき想念が強力な防波堤となります。争いなどはますます事態を悪化させるだけです。お互いに気をつけたいものです。

 

 皆様の至福の生活を期待して祝福させていただきます。