意識の声 No.30 より

1993年 1月号

 

 大体に売れる本を書こうと思えば、いくらでも方法はあります。たとえばUFOは地球世界を征服しようとしているという筋で、人間の恐怖を煽りたてて、居ても立ってもいられないよいうな恐るべき内容のUFO関係の書物をさも事実のごとく書きまくるならば、少なくともアダムスキー全集よりはよく売れるでしょうから印税もたんまりと入るでしょう。とにかくデタラメな本を書くのに題材に困ることはありません。

 

 しかし、そんなことをすれば、私は文句なしにSPから見放されてしまい、GAP活動は瞬時にして消滅してしまいます。だいいち、そんな想念すらも起こせない立場に私はありますので、およそ金儲けとか売名行為などとは一〇〇パーセント無縁な人間として、このGAP活動のみを、ただひたすら続行しているわけです。具体的にいいますと、私自身の想念内容は四六時中SPによって観察されています。ですから、およそ「悪」に属する想念またはマイナスの想念などはカケラも起こせない、ということになっているんですが、そこがムツカシイのです。駱駝(ラクダ)が針の穴を通るほどに私には難儀なことですね。「そんな生き方では随分窮屈ではないか。好きなように生きればよいではないか」とおっしゃる方があるかもしれませんが、そういうわけにはゆかないのです。むしろ、SPばかりか地球人からもうんと想念を観察して頂きたいと私は思っています。

 

 しかし何よりも重要なのは、自分で自分の想念を四六時中観察することにあります。つまりモニター任せにするのではなくて、自分自身の力によって自分の想念が外界に惑わされぬように警戒するのですが、そのために四つの感覚器官を極端にコントロールすることが先決問題です。地球人の浮き世の泣き笑いの人生はすべて四つの感覚器官のなせる業ですから、これを根本的に改めて、外界を見るのに心眼で見る、外界の音響を心耳で聞く、という体の宇宙的な生き方こそ、アダムスキーのティーチングに沿ったものと言えるでしょう。

 

 『第二惑星からの地球訪問者』の中で、SPがア氏にアドヴァイスを与えています。「人間というものは、生き方を変えない限り救われるものではありません」と。まさにこれは金言です。地球人の惰性的な生き方は野生動物以下であると言えるかもしれません。働いて、飲んで、食って、寝て、テレビを見て、旅行にでて、写真をパチパチ。老化してから若き日のアルバムを懐かしんで、明日は棺桶。残るは線香のケムリ――。

 

 結局、人間が自身を変化させるものは自己の意志と選択力にあると言えるでしょう。人間には毎日無限の選択肢が与えられていますが、そのいずれを選ぶかは自己のカンと意志の力にかかっています。上のような生き方を選ぶか、それとも百尺竿頭一歩跳んで大宇宙へ躍り出るかを決めるのは、全く自分自身の意志によります。何かの価値を認めたならば躊躇することなしにそれを選択し、その方向へ驀進することですね。それ以外に方法はありません。

 

 「背負うことはない。自然のままに生きればよいのだ」と言う人達もいますが、これは最もらしく聞こえるけれども惰性的な生き方です。つまり人間が真に宇宙的に変化しようと思えば、変化させる原動力を持った「何かを」実践する必要があるのです。自然のままと称して何もやらなければ、いつまでも地球の持つ異常な低劣な波動の影響を受けながら棺桶に入るだけです。これではよき世界への転生は難しいでしょう。

 

 私が提唱する大宇宙思念法にしても、これを真面目に実践する人と、そうでない人の間には大差が生じます。五分より一〇分、それよりは二〜三〇分、いや一時間、と言うふうに長く行うほど自分に起こる変化が大きいようです。毎日一時間ずつ半年も続ければ、自分の内部に物凄い変化が生ずるでしょう。ある日、急激に超能力が顕現している自分を発見して驚喜するかもしれません。不治の病気の人は奇跡的に全治するでしょう。心ある方は続けてみて下さい。