意識の声 No.42 より

1994年 1月号

 

 今年は一九九四年。これでもってGAP活動は創立以来三四年目に入りました。長い道程でしたが、続行してきた甲斐はあったと思っています。あらゆる困難、障害、妨害、攻撃等を突破して、ここまでに至ったのは、ひとえに皆様方のお陰であると、心底から感謝にたえない次第です。現在もなお妨害はありますが、わたしはいっさい反応を示すことはなく、ただひたすら驀進を続けるのみです。「大いなる理想を持って前進する者に行く手をさえぎって噛みついてくる犬など相手にしている暇はない」とリンカーンは喝破していますが、まさにそのとおりですね。私がリンカーン気取りでいるわけではありませんが、偉人の言葉というものは、ときとして絶大なる勇気をもたらします。

 

 結局、人間は、優れた人間によって救われ、持ちこたえるのではありませんか卑劣な悪質な人間によって世界が向上するはずはありません。私たちの願望、希望、計画、人生設計、その他のプロジェクトは、全て自分自身に任されています。他人が自分にかわって行ってくれるのではありませんから、自分自身の信念と実行力が如何に重要な要素をなすかがわかります。

 

 現在、世界のUFO研究会のある活動分野で非常に悪質な謀略を仕掛けているグループがあります。詳細は当分秘しておきますが、しかし、これにはいずれ天罰が下るでしょう。すでにその兆候はあります。悪事を行えば必ず悪い報いがあるというカルマの法則は永遠に生きています。逆に善事に対しては善き報いがあります。現在の激動の時代に、誰かが正しく誰が間違っているかを見極めるのは困難かもしれませんが、これは自分の内部の意識からくる印象に従う以外に方法はないでしょう。ここでアダムスキー哲学が燦然たる光芒を放ちます。

 

 人間というのは他人の言動に驚くほど左右されやすく、いとも簡単にデマを信じて、それまで持っていた宇宙的な思想という高貴な宝石を投げ捨ててしまいます。こんな例がこれまでGAP内部でどれほどあったかわかりません。私が知る限りでは、もと会員であった者から「今世紀末に地球はダメになる」と聞かされただけで意気消沈してしまい、全く生きる意欲を失った人がいます。愚劣きわまりないデマを流す者もそれを簡単に信ずるものも、全て同罪ですね。

 

 いま私たちは新しい年を迎えたばかりです。この清新な時にあって、私たちが持つべきは、明るい希望に満ちた未来への展望であるべきであって、間違えてもネガティヴ(マイナス)な想念を起こしてはいけませんね「清く正しく美しく」というのは陳腐な言葉ですが、これはやはり永遠をつらぬく格言であるといえるでしょう。この生き方をする人には、たぶん悪魔的な者は歯が立たないはずです。というのは、ジョセフ・マーフィー博士が言っているように、高次元な想念波動を放つ人に対しては、悪魔的な低次元の波動は同調しないために元へ返って行くからです。これをブーメラン効果といいます。これは絶対的な法則であって、この実例はマーフィー博士の著書に多数出ています。

 

 従って、正邪を見分けることが当座困難であっても一本の樹木のように万物に対して公平な透明な精神的態度を保持しているならば、自然に解決の糸口が与えられるようになるでしょう。客観的な情報収集は別として、他人の事をあれこれと猟奇趣味的に詮索しないことですね。また、かりに悪人から騙されても平然としているか、またはその悪人に対して創造主の祝福がありますようにと思念していれば、結局は善の報いがあるでしょう。この法則を応用しない手はありませんですね。

 

 話は変わりますが、過去における私の人生は数奇をきわめたものでしたが、大失敗をやった体験でも今考えてみれば貴重な教訓になっていることがわかります。たとえば、若い頃の私は画家を志して油絵の猛勉強をやりましたが、自分の才能の限界を見いだしてやめてしまいました。しかし、まるで美術学校を出たほどに独学した体験は、現在のユーコン誌のデザインに生かされています。また作家を夢見て文学作品を読みまくった体験も、後年の翻訳活動に絶大に役に立ちましたね。特に私が昔最初にアダムスキーの原書 Inside the Space Ships(宇宙船の内部)の翻訳にかかったときに、私の日本語の文体を確立するために参考にしたのは、大久保康雄訳のオー・ヘンリー短編集でした。それまでの私の書く日本語文は戦前の正漢字に旧仮名使いという古色蒼然たる文章だったものですから、これを時代に添った文体にするのに一苦労したものです。それでも充分でなかったものですから、後に松本清張の推理小説の文体を参考にしたこともあります。国文科出の人から「松本清張なんて」と笑われたこともありますが、これはこれで結構生かされています。ついでながら二〇歳代の頃に読みまくった多数の文学作品のなかで、川端康成の作品を読んだときには、ばらまかれた沢山の小さな宝石がキラキラと煌めいているように見えて「こんな美しい文章を書く人がいるのか」と驚いたものです。

 

 一方、戦前からやっていた写真は今でも仕事として充分に役立っています。沢山のカメラを次々と使用して、ずいぶん失敗もありましたが、非常に良い体験と学習になりましたね。現在、仕事の上で活用できないのは音楽ぐらいのものですが、これは個人的に精神の高揚を図る上で不可欠です。あらゆるジャンルの音楽に理解を持つ私は、ブルックナーのごとき深遠雄大な交響曲から日本の演歌に至るまで何を聴いても興味の対象になりますし、演奏の巧拙がわかります。だから仕事中に音楽を流すことはやりません。演奏の程度が気になって仕事にならないからです。

 

 また、戦時中に島根県の山奥で土方をやった二年間は死ぬほどの苦痛の連続で呻吟しましたし、大戦末期に軍隊ですごした八ヶ月はまさに地獄の生活でしたが、これらはやはり、こよなき貴重な体験として私の精神史で光輝を放っています。

 

 結局、如何なる体験といえども、それらはすべて極上のレッスンなのであって、後日、必ず役立つときがきます。現在の仕事に関連しないにしても、過去の体験自体が雄弁に語りかけるのです。「おまえは苦しい体験を乗り越えてきたのだ。へこたれるな!」と。

 

 体験によって真理を悟りえるのだと説いたのがカントの『実践理性批判』です。ついでながらカントの『純粋理性批判』は人間が先天的に持つテレパシックな能力開発の重要性を説いたものです。またカントは我らの太陽系の他の惑星群にも人類が居住していることを想定していたというのですから、この人も別な惑星から転生してきたとしか思えませんですね。これほどの偉大な思想家ですら、現代はドイツ観念論哲学として死物にされたのですから、地球というのは大変な惑星です。

 

 しかし私は絶対にネガティヴ(マイナス)な想念は起こしません。地球に対して限りない愛着をいだき、輝くような明るい未来を描きながら自身の活動を続けます。そしてGAP会員の人たちにできる限りの激励と精神的援助の手を差し延べるつもりです。