意識の声 No.69 より

1996年4月号

 

万物一体哲学と倒錯した思想

 

 「人間は創造主の子であるから万人はみな兄弟だ。また人間は何を信じようと自由だ」というのは真理ですが、だからといって倒錯した神経による誤った想念をいやがる他人にむりやり押しつけるのは一種の犯罪であって、スペースピープルがアダムスキーを通じて伝えた宇宙哲学とは対極に位置する最低の行為です。こんなことを今更強調するのもバカらしいのですが、人間は奇妙なもので、どんなに狂気に満ちた事でも猪突猛進的にやれば、あの人達は純粋なのだという錯覚を第三者が起こして同調しやすくなるのです。この例は世間に多数あります。しかし真実の調和と錯覚による同調は別問題です。

 

 アメリカの偉大な大統領エイブラハム・リンカンは言っています。「何人に対しても悪意をいだかず、すべての人に愛をもち、神は我らに正義を見る目を与えたのであれば、確固として正義に立ち、我らのなしつつあるこの仕事を完成するために努力しよう」。

 

 これは万人の誤った思考に同調することを意味するのではありません。その証拠にリンカンは南部諸州の猛反対をおしきって戦争までやったあげく奴隷制度の廃止を断行しています。アダムスキーも存命中には凄まじい攻撃や迫害を被っていますが、それに対してはその都度断固として弁明していますし、彼が主宰した世界十数カ国のGAPネットワークの中で彼を批判した者さえも遠慮なく排除しているのです。

 

 真実の「愛」とは愚劣な人間の精神錯乱的な考えに同調することではありません。人間の内部に存在する、永遠をつらぬく「宇宙の意識」と、肉体の属性にすぎず、肉体の死とともに消滅する「心」とを同列視することは出来ないのです。特に地球人の心は幼児のように未発達ですから、歪曲した他人の想念に同調しないことが肝要です。

 

 

 

過去・現在・未来

 

 GAP活動を始めてから今年で三五年目、その前の個人的なアダムスキー活動の期間を加えればざっと四〇年になります。来し方を回想すれば、あまりのめまぐるしさに茫然 となりますが、ここまで続行できたのはすべて会員の皆様方のお蔭であると思えば感謝の極みです。そして痛感するのは時間というものの実体です。これについて科学的な論拠としては「現象変化の過程において事象の前後を示し、あるいは現象持続の度合を示すために導入される量」と某大辞典にあります。しかし人間の主観的哲学的時間は複雑怪奇であって、アウグスティヌスやカントの時間論でさえも茫漠としています。ここで解りやすいのはフランスの物理学者で哲学者であったプライス・パスカルの「パンセ」で述べている言葉です。

 

 「我々は常に<現在>にいたためしがない。来るのがとても待ち遠しくて、その歩みを早めさせようとするかのように<未来>を待ちこがれているか、あるいはあまりに速やかに過ぎ去るので、その歩みを引き止めておこうとするかのように<過去>を呼び返している」

 

 要するに人間は過去に対する未練や追憶か、または未来の予想 −しかも不安な予想− に明け暮れして「現在」なるものを全く無視しているという意味です。けだし至言ですね。昨日はこうだった、明日はどうしようかと思いわずらうばかりで、今日の今の一瞬というものには思い至りません。ですから古代ギリシャの哲人クリュシッボスも「現在とは、その一部が未来で、他の一部が過去なのである」と言っています。

 

 そこで私達は「今」の一瞬というものを熟考するならば、結局、永遠とは現在の一瞬の連続ですから、<永遠とは現在である>と言えるでしょう。それで、現在こそ存在するすべてであって価値あるものだという意味のことをゲーテも述べているわけです。私としては<現在の一瞬>に対する強烈な認識こそ、テレパシー能力発現のための重要なカギになるのではないかとみています。これは物理的時間的な一瞬ではなくて自己の意志で直感できる<一瞬>です。少し難しい話になりましたが、いずれ月例セミナー等で解説しましょう。