意識の声 No.86 より

1997年 9月号

 

★ 精神の向上を図る一つの良策

 

 私達は泥沼のような世俗的生活の中にあって、自分一人が高貴な精神と態度を保つのは至難の業と思いがちです。そして渦巻く低次元な世間の想念波動に圧迫されて、その中に呑み込まれそうになります。それに対抗して昇華しようとしても、もがけばもがくほど低想念の怒濤の中に引きずり込まれそうになります。これを脱するにはどうすればよいでしょうか。

 

 一つの良い方法があります。それは新アダムスキー全集を毎日読み続けるのです。その場合、第一巻から順序よく少しずつ一日に一頁でも二頁でも読み進んで行くならば、そのうちに必ず宇宙の法則ともいうべき素晴らしい箇所にハッと気づいて、「そうだ、自分はこれを求めていたのだ!」と欣喜雀躍する瞬間が必ず訪れます。人間いかに多忙といっても一日に一頁を読むぐらいの時間がないわけはありません。こうして毎日丹念に読み進んで、まるで米の飯を咀嚼するように知識を吸収して行けば、必ず得るところ大なるものがあるでしょう。あるいは、第一巻から順序だてて読まなくても、書棚に並べてある全集のどれか目についた巻を無作為に引っ張り出して、どこかの頁をパッと開いて読んでもよいでしょう。そうすれば何かの素晴らしい記述に打たれて覚醒感を起こすかもしれません。これも毎日余暇をみて続けるとよいのです。広島の会員である加藤知行氏は第三巻の「生命の科学」を一万回読む事を目標にして毎日読書を続けておられます。数年前はすでに第一回の一万回を達成したということで、第二回目の一万回に挑戦しておられました。いつぞや広島のカチナ会の大会でお目にかかったときは、明らかに聖者の風貌が見えていましたね。こんな方も日本GAPにいらっしゃるのです。凄いことではありませんか。

 

 新アダムスキー全集に飽きがきたという方は、(全部で十一巻もあれば飽きがくるはずはないのですが)新約聖書を読んでもよいのです。特にイエスの愛の哲学の中心ともいうべき次の箇所あたりを心の碑銘にするとよいでしょう。
 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には下着をも拒んではなりません。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはなりません。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。−中略− しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何もあてにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあり、いと高き方(創造主)の子となります。いと高き方は、恩を知らない者にも、悪人にも、情け深いからです。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6−27)

 

 以上はまさに大宇宙の意識(創造主)の声そのものです。これでもうおわかりでしょう。このエッセイのタイトルが「意識の声」となっているのは、万人に対する無条件の愛と尊敬と調和をすすめるイエスの声を実践しようという意味なのです。私自身はイエスのはるか足下にも寄れない卑小な人間ですが、その「声」を感受して慚愧の涙を流すぐらいの感性が少しはあります。私をどんなにボロクソに言う人がいても、私はその人を敬愛しようという思いが少しはあるのです。実践には気の遠くなるような困難が伴いますけれどね。特に酒を飲んだときは想念が低下します。でも宴会等は自分の自制力の良き試練の場にもなるので避ける必要はないでしょう。だいいちイエスでさえもワインをかなり飲んだ形跡がありますからね。これで安心!そこでエルサレム、ベツレヘム、ナザレその他でイエスの高貴な波動に触れて心の洗濯をしようではありませんか。心身ともに浄化されて大宇宙の創造主の大いなる声を聴きたいものです。それはオリーブ山から眼下のエルサレムの素晴らしい風景を見下ろしたとたんに響いてくるでしょう。