投稿者 コスモス 日時 2004 年 6 月 08 日 06:42:20:
娘が小学校に通うようになり、それなりに問題が起こる訳で、先週の
水曜日に妻と二人で夜中までかかっ、て担任の先生に渡す手紙を書い
た。その事が影響したのだろうか、次の日、私はなじみの古本屋で本
を買った。
そして突き動かされたように、その本を読みはじめた。
土曜日に妻と娘と私の三人で出かけた時も、途中の電車やバスの中で
読んでいた。
そんな私の様子を見て、
「その面白いの?、何ていう本?」妻が聞いた。
「灰谷健次郎の”わたしの出会った子どもたち”。おもしろいという
より恐いよ」と私は答えた。
「ヘー、めずらしく、渋い本を読んでるねー」
「たまには渋い本だって読むのさ」
「どうして読む気になったの」
「たまたま本屋で見つけて、凄いことが書いてあると思ったから」
確かに凄いことが書いてある。
読んでいない人には判らない話だろうが、とても1、2行で紹介でき
る内容の本ではない。
この本が最初に出版されたのは25年くらい前だ。
灰谷さんが教員時代の経験から書かれたことから、私が「学校の先生
は本当に辛いことをやらされているのだな」と感じた。
実を申せば連れ合いも知り合った時は小学校の先生だった。
でも先生を辞めたいと言って数ヶ月後に本当に辞めてしまった。その時は私の職場を換えたばかりで「学校の先生も大変なんだな」ぐらい
にしか思っていなかった。
しかし彼女とつき合ううちに「心が壊れてしまっている」と判り、そ
の原因が学校にあると気付いた。当時、自分自身も壊れていると感じ
ていたので、正直いってつき合うには気合いを持ち続ける必要があっ
た。ただ彼女から逃げては行けないとの思いは強く持っていた。
彼女の心が壊されてしまった理由については、あまりに恐く感じたので追求できなかった。
そして結婚して、娘が生まれて、小学校に入った今になって、私は灰
谷さんの本を読みその理由が判った。知り合ってから15年目のこと
だ。
その間、灰谷さんの本はずっと存在していたのだが、私は全く気がつ
かなかった。
おそらく私自身に「かつての彼女の苦しみ」を理解できる余裕ができ
たのだろう。それで灰谷さんの本に気付いたのだと思う。
そして日曜日の夜、私は妻に言った。
「学校の先生って本当に大変な仕事なんだね。灰谷さんの本を読んで
やっと判ったよ」
連れ合いは
「もうずっと昔のことよ。それにしても不思議ね。今になって灰谷さ
んの本を読むなんて」
とだけ言った。
そう不思議なことだけど偶然ではないのだろうと私は思った。
この話は例によって、いつものコスモスの自慢話の類と思われるとま
ずいなと感じて、ここに書くのを迷ったのですが、偶然に見えること
が決して偶然ではなく、潜在的な要素が積み重なって顕在化(現実
化)するということをお知らせしたかったので書きました。
付け加えますと、私に灰谷さんの本を読んで、上に書いた「気付き」
以上のことを教わりました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。