投稿者 海風の舞 日時 2004 年 6 月 08 日 07:45:44:
回答先: 近況報告(15年後の啓示) 投稿者 コスモス 日時 2004 年 6 月 08 日 06:42:20:
コスモスさんの文を 投稿直後に読ませていただき 今回もコメントを書くのは止めようかと思いましたが
『これも、偶然に見えることが決して偶然ではなく・・』
かもしれないと思い ひと言書かせていただきます。
私は他の方の文は疑問に思われることがあっても 他人ごとと言いますか 特にコメントを書きたいとか質問をしたいとは思いません。
でも 何故かコスモスさんの文にはついつい質問を書いてしまいまして 自分でも不思議ですが
どうも何か書かずにはいられないものがあるようです。
(質問というより感想ですので お返事を期待しているわけではありません。)
|> 「灰谷健次郎の”わたしの出会った子どもたち”。おもしろいという
|> より恐いよ」と私は答えた。
灰谷健次郎さんの本は 10年以上前になりますが中学校の教員をしている友人が
是非読んで!と数冊貸してくれて読みました。
”わたしの出会った子どもたち”も もう1回読んでみようと思いました。
|> この本が最初に出版されたのは25年くらい前だ。
|> 灰谷さんが教員時代の経験から書かれたことから、私が「学校の先生
|> は本当に辛いことをやらされているのだな」と感じた。
私が書かせていただきたいと思ったのは コスモスさんのこの言葉についてです。
「学校の先生は本当に辛いことをやらされているのだな」と言うのは ある意味では事実かもしれませんが
辛いこともあれば また素晴らしいこともあります。
つまり私が言いたいのは そのことです。
|> 実を申せば連れ合いも知り合った時は小学校の先生だった。
|>
|> しかし彼女とつき合ううちに「心が壊れてしまっている」と判り、そ
|> の原因が学校にあると気付いた。当時、自分自身も壊れていると感じ
|> ていたので、正直いってつき合うには気合いを持ち続ける必要があっ
|> た。ただ彼女から逃げては行けないとの思いは強く持っていた。
|> 彼女の心が壊されてしまった理由については、あまりに恐く感じたので追求できなかった。
「心が壊れてしまっている」・・という大変さも 確かにあるかもしれません。
でも私が言いたいのは そういう大変さの中で努力している人もいると言うことです。
私の両親も小学校の教師でした。兄夫婦は高校 妹夫婦は小学校の教師です。
コスモスさんの書きたかった内容は「心が壊れてしまうほどの大変さについて」ではないとは思うのですが
どうも私は そこの点にこだわってしまうようです。
「心が壊れてしまうほどの大変さ」だけ 強調しないでほしいと思うわけです。
|> 付け加えますと、私に灰谷さんの本を読んで、上に書いた「気付き」
|> 以上のことを教わりました。
コスモスさんも書いていらっしゃるように『灰谷さんの本を読んで』ということより
その「気付き」について書いていらっしゃるのかもしれませんが
趣旨からずれた内容で申し訳ありませんが ひと言書かせていただきました。