投稿者 住田 一成 日時 2002 年 12 月 14 日 09:45:16:
回答先: 老子とアダムスキーの今昔物語 投稿者 異邦人 日時 2002 年 11 月 06 日 23:12:34:
|> |> アダムスキーの宇宙哲学について関心を持っています。特に彼が老子の生まれ変わりであるというお話を聞いて、アダムスキーと東洋哲学との繋がりについて調べています。一般的にキリスト教との関係についての言及は多くコメントされていると思われますが、東洋哲学の特に仏教との関係性についてコメントされている方は少ないととても感じるのです。
|> アダムスキーの著作を読みますと、側近の方々が、アダムスキーはその過去世において、中国に於いて「老子」として活躍をされていてそのようなことから、アダムスキーは中国的なものに親しみを感じていたと漏らしていたというコメントを以前何かの書籍で読んだことがあります。老子と言うと一般的には「無為自然」や「道」について説いた人と捉えられておりますが、経典の中には、また別な角度から「老子」のことについて述べられています。たとえば、日蓮大聖人の御書の中の開目抄の始めには「而りといえども過去未来をしらざれば父母・主君師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず、孔子が此の地に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといぬて外典を仏法の初門となせしこれなり・・・・・止観に云く「我れ三聖を遣わして彼の真丹を化す」等云云。弘決に云く「清浄法行経に云く、月光菩薩彼に顔回と称し、光浄菩薩彼に仲尼と称し、迦葉菩薩彼に老子と称す。」と示されており、ここでは、老子とは釈迦が中国の衆生を教化するために三人の聖人を使わせて、その聖人たちが中国に転生して、仏教が中国に広められるための基礎を造らせたとあり、その中で迦葉菩薩と云う方が中国に生まれ変わって老子と称したと述べられているのです。アダムスキーが老子の生まれ変わりということであれば、その老子とは、もともとは釈迦が遣わした三人の聖人の一人であり、この生命の転生輪廻と過去世の姿を信じるのであれば、老子アダムスキーは、過去において釈迦と出会っている人であり、釈迦の遣いとして中国に生まれ変わった人であり、このことを信じるのであれば、アダムスキーは内面に釈迦との記憶を持つ迦葉菩薩の生まれ変わりの人と言えるかもしれません。そしてその迦葉菩薩という方が、現代社会に対して過去の宗教経典の世界とは、実は宇宙的視点に立った世界であるということを伝えたということになるかもしれません。もちろん、このようなことは、今昔物語の文学の域を出ない一つの信仰の世界となってしまいますが、このような視点を持ってアダムスキーを通して過去の経典の世界を、現在の寺院の僧侶とは異なった角度で経典の世界を捉え直すことが可能となってきます。
残念ながら老子であるとアダムスキーが言ったことがないのでお説はなりたたないでしょう。
名前の特定ができない「古代中国」の指導者であるというようなことを言ったという話があるだけです。老子というのは個人的な推論です。老子自体はアメリカでも知られていたのですから、むしろ違う別の人である可能性のほうが高いと思います。
釈迦が遣わすという考えも宗教的な信仰にはあるのでしょうが
宇宙の英知との一体化こそを問題にしていて誰が家元でだれを派遣したから真正であるとか、すばらしいということは関係ないでしょう。
宇宙の英知との一体化そして、それにいたるための方法を簡潔に示してあることを重視すべきで、どこのだれそれの転生ということはまったく関係ないでしょう。
仏教、キリスト教自身には宇宙的な観点が保存されていますのでそのままにしてほうっておくのはもったいないですね。でも大多数の人は本質を捨ててしまって別のところに行くように見えてしまいます。